2001年5月6月分 現在の見習い記録へ
6月30日(土)曇りのち晴れ
きょうの作陽大学公開講座の前のミニコンサートは,3人の学生により日本の歌が歌われた。なかでも「城ヶ島の雨」「ゴンドラの歌」などは思わず口ずさんだ。声楽を専攻している学生だけあって声が澄みきっている。梅雨どきのうっとうしいこころを吹き飛ばしてくれる清涼感あふれるものだった。室生犀星の「砂丘の上」石川啄木「初恋」の詩に曲がつけられたものも初めて聞いたがよかった。
さて講座の本題は,元NHKチーフディレクター金光寿郎(かなみつとしお)さんによる「心に残る人々」であった。
主に宗教番組をプロデュースされ多くの宗教人や作家にお会いしておられる。いまも「ラジオ深夜便」やテレビの「心の時代」に聞き役として活躍されているとのことである。実際にお会いしているから,それぞれの人の言葉は金光さんから発せられる言葉となる。
たとえば,和田重正(小田原市 はじめ塾創始者)さんという人に「死んだらどこへ行くんでしょうね」と金光さんが尋ねたら「どこへも行きませんよ」と強い語気でいわれたそうである。これは何か宿題をもらったように思え自問自答したそうである。金光さんはいまもはっきりはわからないがと前置きをして,和田さんも生きるとか死とかをずっと考え抜いた人だから,おそらくこういう意味で言ったのだろうと。「生きている自分は,日々与えられている生なんだ。生かされているんだから,死のうと思わなくてもいずれは死ねる。どこへ行こうとも人間も生は与えられてあるものだから,死んでもどこへも行きはしないんだ」とそのように聞いたのだが,間違って聞いているかもしれない。
トマトが少しずつ熟れだした。もうこれさえあればほかのおかずはいらない。
ブドウの枝をカーポートのしたに誘引した。自転車置き場に少し陰ができた。
ブルーベリーも「ビッグウェーブ」が色づき始めた。
6月27日(水)晴れ
友だちの父上が91歳で亡くなられた。それも前の日まで畑仕事をされながら,翌朝には帰らぬ人となられた。おじさんの本職は写真屋である。子供の時からその家におじゃましていたから本当にお名残おしい。中学の修学旅行や運動会には必ず来て写真を撮ってくださった。
そのおじさんの畑仕事の仕方に常日頃から関心を持っていた。とにかくご高齢なのであまり土を掘り起こすことはしない。それはある本で読んだ「不耕起栽培」をまさに実践されていたのである。何しろいつもいい作物を作っておられた。おそらく剪定枝や落ち葉などすべて畑に還元していたのであろう。地中に張りめぐらされた作物の根もやがて腐り空洞となり,根穴として自然な孔隙をつくり耕起したと同じ状態ができたのである。耕さなくても土はふかふかとしていたと思う
これをやりたいと思っていた。しかし我が家の師匠は否定的である。「耕耘しないでどうする」という主義だから,提案は一蹴されてしまった。
でもいつかやってみようと思っている。何しろ畑を耕さなくてすむのだ。
6月23日(土)雨のち曇り
草笛についてもう一つ思い出がある。子供の頃の夏は天神祭が楽しみだった。玉島港のみなと祭りである。神輿が繰り出し,目の真上で花火が鳴る。ドーンと腹にひびく大きさだった。それにカーバイトのガスを使ったあかりの夜店が出る。主におもちゃ屋と綿菓子と風船などである。
香具師もいろいろきていた。蛇を袋に入れて口上を言いながらもなかなか出してみせず,結局は傷の塗り薬を売ろうとするあれなどである。その中の一つに草笛を吹くのがあった。とても素朴な音がするのでお客が吸い寄せられ,おじさんの周りに円陣ができる。燕尾服を着たおじさんは,身振り手振りよろしく口に何かを含み,一人でワルツなどの曲を奏でながら,果ては一人で踊り出す。照明もあまり明るくないのでとても幻想的で,草笛的な音色とダンスに思わず足を止める者が多かった。その笛を買ったことはないが,簡単に音が出せるものと,おまけにくれるセルロイドを丸く切っただけのものとがセットのようになっていたと思う。セルロイドの方はなかなか音が出せない代物のようであった。
そのセルロイドの方がいま練習している「含み笛」というものであったのだろう。草笛教室の含み笛は参考になった。それもフロッピーディスクの中のフイルム部分がちょうどいい。葉がしおれるということがなく音程が安定している。しかし,いまの目標は1オクターブ半出せることである。
クルミの花
6月16日(土)晴れ
草笛が懐かしい。遙かむかし町工場に勤めていた頃,昼の休憩時間に年輩の工員さんから「草笛を知っているかい。明日工場にくる前,桃の葉っぱを持ってきてごらん」といわれた。寮の近くに桃を作っている農家があったので,そこで桃の葉をもらい,工員のおじさんに渡した。その人は葉っぱを口に当て,唱歌やら童謡を次々に草笛によって弾いた。それには目を丸くしたものである。ヴァイオリンとも合奏するんだとも聞いた。おじさんに習ったがあまり上手にはならなかった。
久しく草笛のことは忘れていたがインターネットで何気なく「草笛」と検索したら,あるある。「草笛教室」なるサイトまであった。そのサイトに載っていた含み笛をいま練習している。
6月10日(晴れのち曇り)
梅雨の中休みか晴天が続いた。田を作っている人はこの土日に田植えをする。ため池の樋も切られ,川には水があふれている。かつては我が家も棚田に稲を植えていた。思えば懐かしい。大人にとっては重労働であったろうが,子どもにとっては何かうきうきする季節であった。祖父にしかられながらも田んぼの中で泥まみれになって遊んだ。田植機ではなく田植え綱というひもを渡して横一列に一斉に手で植える。このときは子どもも一人前の植え子となる。本当に猫の手も借りたいとはこの時季であろう。
山下惣一さんがいわれたと思うが,「人間せいぜい30回から40回田植えをしたら現役を終わる」と。
まさにそう思う。きっちり日々の明け暮れにつきあう仕事である。
ラベンダー
6月9日(土)晴れ
どうもメインで使っているのパソコンのハードディスクがめげてしまったようだ。「見習い記録」の更新もままならない。画像ファイルも何もかもそのハードディスクに入っているからだ。画像でしかポイントを稼げないわがホームページにとってはつらい。パソコンの師匠W氏に相談してリニューアルするしかないかなあ。またW氏には迷惑をかけることになる。
本日のくらしき作陽大学の「百人百話」は,三浦俊良さんというお坊さんで,京都の洛南高校を京都大学合格者数日本一にした教育者のお話だった。伯父と同じ88歳である。
洛南高校の教育モットーは「自己を尊重し,真理を探究し,社会に貢献すること」だそうだ。三浦先生自身,身を挺して仏教の教えを人材教育に実践されたお方であると思った。来週の講師は女優の藤村志保さんとのこと。楽しみである。
6月3日(日)晴れ
桃の袋かけに行った。88歳の伯父が30年来丹精している桃畑である。師匠(伯父からみると妹)と桃畑に直行する。2日前からもう一人の伯父が手伝っている。いとこ夫婦もすでに作業にかかっていた。谷間にあるので鳥の声がこだまする。鳴き声から思うのに,キジ,ウグイス,ホトトギス,シジュウカラの合奏である。春ゼミはもう終わったのだろう。脚立に上がり桃の実を間引きながら袋かけをするが,本当におじきたちは元気だ。黙々と袋をかけていく。桃の木の下で食べる弁当もおいしかった。チトンフィットをたっぷり浴びた一日であった。
桃のふくろかけ
5月28日(月)晴れ
午後半日休暇をとり,小梅の収穫をする。収穫をするといっても何もせず,成ったものをいただくだけのこと。農薬をかけていないのでアブラムシがウズナイー(岡山弁で鳥肌が立つような感じを表す)ほど枝の回りについている。しかし毒ではないので気にしない。梅そのものには影響していない。小梅のかりかり漬けをしたいがあのかりかり感が出せない。どなたかご存じでないだろうか。いつも失敗する。
夕刻より市民劇場の芝居を見に出かけた。佐々木愛さんの「ほにほにおなご医者(せんせい)」。倉敷では玉島が初日だそうだ。
エレガンスレイ(クジャク)
5月27日(日)曇り
お隣にやきものをしている方がいる。会社勤めのかたわらご夫婦で焼いておられる。陶芸教室にご夫婦で行かれ,数年前に窯を作られた。車庫の一角を展示場にしている。薬をかけた柔らかい感じの陶器である。造形もいろいろある。最近は香炉やランプシェードも作っておられる。釉薬による色出しがなかなか難しいとのこと。しかし楽しみはつきないそうだ。
昔の山の仲間の家で餃子パーティーがあった。彼の手作りで,もっぱらいただくだけだった。山に行っていた当時から料理がうまかった。
次はもう一人の仲間のところで,炭焼きパーティだ。このときはドラム缶炭焼き法の講師になる予定
良然窯の作品と良然さん
5月26日(土)晴れ
久々のお湿りで作物も生気を取り戻した。卯の花が満開だ。わが家のは八重咲きである。トップページにも書いたが,ニ十数年前,近くの円通寺(良寛が修行したお寺)の境内にあったのを一枝いただき挿し木をしたものだ。以来大株となり少し小さくしなければと思っている。
夏に欠かせない,ゴーヤの垣を作った。師匠が苗を上げたが,昨年のこぼれ種からも芽を吹き,それらで十分足りる。ニガウリとかレイシともいうが,豚肉と炒めたゴーヤチャンプルーは夏の暑いときに食欲をそそる。あれは苦くてうまい。沖縄の人はゴーヤを食べるから元気なのだと思う。
今日の公開講座「百人百話」は東大の宇宙科学者松井孝典(たかふみ)教授の「地球システムと人間圏の未来」というものだった。
地球の成り立ちを部分的な視点から見るのではなく俯瞰的な視点から見ようというもの。地球の地表温度を定温化しているのが炭酸ガスの循環による(主に海洋圏と植物圏が関連して)ということや,現在の人間圏の人間は自然の地球システム(さまざまな物質圏を構成要素としてダイナミックに関係しあうシステム−『一万年目の「人間圏」』松井教授著より)の1万倍を独占して使っているそうだ。また地球の生命も折り返し地点に来ているという。
なんか気分が大きくなるお話だった。
卯の花
5月19日(土)晴れ
まだ5月だというのにかなり暑くなった。昼間の気温は28度を超す。ブルーベリーの鉢植えには朝晩水やりが必要だ。鉢の大きなのを買ってはいるがそれにまだ植え替えていない。畑に植えてあるのもこう日が照ってはかなり乾いていおり,一雨ほしいところだ。
昼から,くらしき作陽大学の公開講座「百人百話」の聴講に行く。今日の講師は大原美術館理事長の大原謙一郎さんだ。テーマは『絵とのつきあい方』というもの。大原さんいわく,「ミュージアムの世界はロマンの時代を迎えている。美術館のあり方が典型的なものを脱して,何でもありの時代になった」と。一例として絵の見せ方に音楽とジョイントさせたりすることもある。ジャズミュージシャンの蜂谷真紀さんが大原美術館のコレクションからイメージして作曲したものなども新しい試みだ。マチスやミロの絵も音楽家の目を通して新しい見方つきあい方が生まれる。
奈義町の現代美術館のあり方なども典型的なものから脱したものだ。
大原さんのお話から,児島虎次郎さんの偉大さもあらためて教えられた。虎次郎が偉大な画家であったから,作者と直に接してコレクションできたのだということも。
作陽大学のキャンパスも新緑のまっさかりだった。
明日はおばさんの49日の法要がある。
クジャクサボテン
5月13日(日)晴れ
今日も空は青く晴れていた。かなり空気が乾いていた。母の日。弟(母からは3男)の家から額縁に入った花と日本酒が届く。フラワーアレンジメントというもの。きれいだ。
yosikoさんはパンとお寿司を作った。長男は何もしない。去年はスイカをスーパーに並んで買ったが,今年は母自身が買ってきた。熊本からのものだが甘かった。
パンを焼いている
5月12日(土)晴れ
岡山県は乾燥注意報が出ている。気持ちのいい朝だったが,ブルーベリーの鉢植えの葉はしおれていた。大きな鉢に植え替えればいいのだが。これからは毎日水をやらねばなるまい。やっと数鉢シャコバサボテンの土を入れ替えた。これも遅いくらいだ。
畑にトマトの成長を見に行った。師匠(母)はだいぶ前から行っている。雑草がこれからは爆発するように生えてくる。いつもこの雑草の勢いと暑さに負けて実習をさぼるようになり,だんだん畑に近寄らなくなる。写真の畑はわが家の畑ではない。管理の行き届いたよその畑である。叔父の畑もきれいだ。
さくらんぼ
5月6日(日)晴れのち曇り
連休最後の日。結局金光の植木市も,鴨方のそうめんの試食も,美星の青空市へも行かなかった。かといって植木鉢の土換えもしなかった。見習実習もしなかった。昼を済まし,横になっているといつのまにか夕飯になっているという毎日だった。みんな精力的にGWのメニューをこなしているというのになんと怠惰な日々だったろう。畑はいつの間にか青々としている。
クルミの木
5月4日(金)晴れ
懸案だった草刈をした。草刈機は何台もある。用途別に使える。ただ草刈機を使うのはかなりきつい。なぜだろう。肩掛けのものは回転する刃先を左右に腰を振って刈った草を倒す必要があるからだろうか。ゆっくりやればよいのだがいつも伸びきった草を刈る始末になるので力がいりくたぶれが出る。去年,2mちかい蒲の穂を刈ったときなどは2,3日煩った。草が大きくなる前に刈ればいいのだ。
コモンタイム
みやこわすれ
5月3日(木)雨のち曇り
朝方はまだきのうからの雨が残っていた。
今日は憲法記念日。日ごろあまり気にしない法律だが国のかたちを示す根本の法律であることに違いはない。
それがなんだか新内閣になり“憲法改正?”とかいう言葉が聞こえてくるというか,きな臭いにおいがしてくる。9条が標的になっているようである。なんで変えにゃーいけんのんかなー。むしろ誤解のないようにもっと明確に戦力の不保持を宣言するように書き改めるのならええけどなー。
あんまりこのコーナーとは関係ないか。だけど今日は連休の中のひとつというだけではなく,いまの平和を維持するためにはみんなもう一度この国の憲法を読み直すことが大事な日だと思うけどな。
yoshikoさんがパンとクッキーを焼いた。また天気が変わらなければよいが
レモンバーム