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10月26日(土)雨のち晴れ
『熱球』を読み終えた。『流星ワゴン』もそうだったが本当に父親というものはさびしい存在だと思う。重松さんはその父性をあらゆる角度から切り込んで見せてくれる。この人の作品をいつも見張っていないといけない。
永井するみさんという作家のものも好きだ。最初に読んだのが農業ミステリー『枯れ蔵』。次がコンピュータ2000年問題『ミレニアム』。音楽ミステリー『大いなる聴衆』もおもしろかった。きのうから『防風林』(講談社)を読み始めた。

10月20日(日)曇りのち雨
実生のブルーベリーの苗がかなり大きくなった。さらに大きな鉢へ移植し再来年には実をつけるまでにしたい。
ローズマリーが秋の花をつけている。

10月19日(土)雨
わが町内の祭は終わったが,よその地区ではきょうが祭のところもあるようだ。雨の祭はたいへんだ。
秋の雨はさみしい。稲刈りの終わった田んぼが見えるからだろうか。それは収穫した安心感からくるのかもしれない。
わが家のブドウの葉っぱも色づき始めた。来年のためにお礼肥を撒く時季が来た。
鉄砲虫(カミキリムシ)が入った幹もあるが,かなり太くなった。来年は70房ぐらい成らせるかなー

10月18日(金)晴れ
重松さんの連載を読むのに忙しい。山陽新聞では『カシオペアの丘で』,週間朝日では『ニワトリは一度だけ飛べる』,家の光では『みんなのうた』と。通勤電車では図書館で借りた(買えない)『熱球』(徳間書店)も読んでいる。熱球はどうやら山口県の西部が舞台であるが主人公の実家の人物が話す言葉は岡山弁だ。重松さんのお父さんが転勤族で米子にも,山口にも行ったという。しかし小説の土地の言葉は岡山弁がふんだんに使われるのでうれしい。

10月13日(日)晴れ
祭の二日目。柏島神社に4台の千歳楽が集結した。今年は申し合わせての集まりだから担ぎ手も多く,にぎわった。
昼の各町内の運行も暑いくらいだった。
夜はキンモクセイの甘いにおいが漂う中,町内を担いでの運行だった。提灯の明かりのなかで,赤い三枚のふとんとゆれる白い房が,祭ムードをいちだんと引き立てる。

10月12日(土)晴れ
秋晴れの絶好の祭日和だ。町内の辻には提灯が出され,千歳楽の組み立てが午前中行われた。
土台に飾りが組み込まれ,だんだんと祭のムードが高まってくる。
きょうはわが誕生日でもある。

10月7日(月)晴れ
きょうも午後7時過ぎ,西川沿いに駅まで帰る途中はキンモクセイの香り,いやにおいでいっぱいだった。甘く漂ってくる。きょうの朝日新聞の『天声人語』では,夜のキンモクセイのにおいは「秋の夕暮れのひっそりと寂しい空気を引き立てる豊潤さだ」という。にくい。
にくいと言えば『流星ワゴン』である。やっと読み終えたのであるが,なつかしくて涙がでそうなほど,その読んでいるとき,しあわせ感を味わわせてくれた。ほんとうにわが親父さんのことがなつかしく思い出された。主人公と同い年の父親がとつぜん目の前に現れてくる。死の床にある父親がタイムスリップして,やはり同じようにタイムスリップした主人公が不思議なワゴン車を介して出会うのである。父親チュウさんは岡山弁丸出しだから余計に鼻の奥がつーんとした。
あしたからも山陽新聞連載の重松さんの『カシオペアの丘で』が楽しみである。

10月6日(日)曇りのち雨
秋祭りが近づき町内の道掃除をした。灯ろうがある,ため池の回りの草刈りが主だった。
わが家の草も伸び放題である。レモングラスがススキと見まがうほどに大きくなり,ばっさりと刈り込んだ。
ブドウの二番成りが熟してきた。
福田さんも「鉄腕ダッシュ村」のウオッチャーであることを自然日記で知った。TOKIOの面々が真剣に村作りに挑んでいるすがたに感動する。

10月4日(金)晴れ
日が落ちた西川緑道公園を歩いて帰る。キンモクセイの甘いにおいがただよってくる。
親父さんに会いたい。「シャンと胸を張って歩かんか。背中がまがってしもうとるど」と言われてもいい。
重松清さんの『流星ワゴン』(講談社)のように,50歳のころの親父さんが目の前に現れたら,なんと言うだろう。「なんなーしょぼくれてしもうて。わしが50のころはもちーたーシャンとしとったど」と言うに違いない。病院で意識がなくなる前,息子らに声にならない何かを言おうとしていた言葉がある。聞き取れなかった。この物語のようにあの思い残した言葉をゆうれいでもいいから親父さんの口から聞いてみたい。
こういうセンチメンタルな気持ちを抱きながら,この本を半分ほど読み終えた。

10月2日(水)晴れ
関東東北地方に大きな被害の爪あとを残して台風21号が去ったようである。
さいわい中国地方には何の影響もなかった。
岡山西川緑道公園のキンモクセイが咲き始めた。朝の通勤が楽しみである。ヒガンバナは終わりかけている。

9月29日(日)曇り
家の中でゴロゴロして過ごす。やらなければならないことが山ほどあるのにやろうとしない。
重松清さんの『舞姫通信』(新潮文庫)を読み終えたので余計ブルーな気持ちがするのだろうか。次はいよいよ『流星ワゴン』(講談社)を読むこととする。
これはわくわくするし元気にしてくれるのではないかと期待している。

9月27日(金)曇りのち雨
久々のお湿りである。渇水状態が続いており,少しは貯水池にたまっただろうか。
そろそろキンモクセイの花芽がふくらむころであるが,今日の雨でいきおいがついたことと思う。
この花のにおいはあまり好きではなかった。祭の太鼓を思い出すが,そのとき出現する赤鬼青鬼のことがいっしょに思い出されるからだ。人間が面をかぶっているだけなのにその姿を見かけると足がすくみ,恐怖におののいた子どものころのことが。回りの大人にしがみついて泣いた記憶がある。倉敷茶屋町ではこの鬼の保存会まである。
今はキンモクセイの甘いにおいは好きである。トイレの消臭剤にもこれに似たものをときどき買う。

9月22日(日)晴れ
井上ひさしさんの劇団こまつ座による第67回公演「雨」を見た。座付き役者辻萬長さんと三田和代さんによる,幾重にも仕組まれたミステリー喜劇。井上芝居は言葉の博覧会である。

9月21日(土)晴れ
中秋の名月はちょっとかすみがかかっている。
きょうは職場のOB会だった。もちろん現役組だがOBの人のほうがお元気だ。声を張り上げての乾杯。なんだか元気が出てくる。かわいがっていただいた先輩の方々。ごめいわくをおかけしました。ほんとうにあのときのこころの広さ優しさが今になってわかります。

9月15日(日)曇り
敬老の日。師匠はほっといて美星町の青空市に行った。テントばりで始めたころを知っているが,今は一大マーケットになっている。新鮮な野菜を目当てに西は福山方面からも来られていた。お彼岸が近いので菊などの生花もたくさん売られていた。
帰り道,井原の「葡萄浪漫館」にも寄った。きょうはブドウの種類も量も豊富だった。「瀬戸ジャイアンツ」(別名モモタロウ)という皮ごと食べられる品種があり,yoshikoさんは飛びつくように買った。またこっちの店のシキミが80円も安いので2把さらに買っていた。

9月14日(土)曇りのち晴れのち曇り
雨が降らないので倉敷市では取水制限をし,宣伝カーで節水を呼びかけている。平成6年の渇水を思い出す。あのときは本気で井戸を掘ろうかと思った。ボーリングの方法で1メートル掘るのに2万円かかるといわれやめてしまった記憶がある。
「強力わかもと」の箱のバーコード部分を送って『わかもとの知恵』(筒井康隆著)という本をもらった。「錠剤わかもと」の付録だった『重宝秘訣絵本』をまとめたものらしい。カバヤ文庫みたいなものだろうか。「わかもと」は体の調子をくずしていた父の使いで薬局に買いに行った遠い昔のことを思い出す。
本にはおもしろい知恵が書いてある。「寝小便をなおす知恵」「出そうなくしゃみを止める知恵」とかいろいろある。早く知っておけばよかったのが『さかあがりができるようになる知恵」などであろうか。とにかく今からでも身につけておけば一生役立つ知恵であることにまちがいない。

9月8日(日)晴れ
もう何日も雨がなく,暑さは真夏なみである。二男の高校の文化祭があったが体育館の中での催しは土用のがまん比べのようであった。明日の体育祭はさらにきつかろうと思う。父兄のコーナーにはyoshikoさんの作品も展示されていた。
町内では秋祭りの話がちらほら。もうそんな季節なのだ。それにしても豊浜のちょうさまつりの法被はどれもデザインがよかったなー

9月7日(土)晴れ
青春18きっぷの消化使用のため,ひとりでぶらり四国へ渡った。
我が町の「千歳楽」より二回り以上の大きさがある太鼓台「ちょうさ」の調査に。なーんてね。
香川県は豊浜町の「ちょうさ祭」の「ちょうさ」は23台あるという。「ちょうさ」の常設展示場である「ちょうさ会館」に行ってみた。
さすがに大きい。その華麗さもずば抜けている。太鼓台に施した金糸銀糸の刺繍や彫刻がすごい。価格にしても6,7千万円するというから驚きだ。
帰りの瀬戸大橋からの海のながめもよかった。列車の中では重松清さんの『見張り塔からずっと』(新潮文庫)が読めた。

9月5日(木)晴れ
ラジオで新学期が月曜日から始まるとかなりきついということをアナウンサーがもらしていたがまさに実感する。
もっとも長男の職場は土日もないと聞いているので,それを思えばぜいたくなのだろう。
通勤時間のうち列車の中が約20分,最近はくたびれて本を開くことがあまりない。1ヶ月前からカバンのなかに入ったままになっていた重松清さんの『日曜日の夕刊』の最後の一話を読み終えた。思えば12話どの話もよかった。中でも印象的なのは「さかあがりの神様」「後藤を待ちながら」などである。岡山弁が巧みに使われ親近感があり,なにより泣かせられる。文庫版解説の北上次郎さんが「構成のうまさは宮部みゆきさんと並んで双璧だ」と言っておられるがまさにそう思う。その解説で激賞している『流星ワゴン』を今度読んでみようと思う。お二人の本が読めるしあわせを感じる。