8月26日(日)雨
夏休みなどの期間に「青春18きっぷ」というJR線(特急をのぞく)に一日乗り放題のキップが売られる。
今夏も冷房の効いた列車で本が読めたらと思い買ったが,きょうまで使っていなかった。夏休みも終わりかけているので使うべく電車に乗った。あらかじめ「駅前探検倶楽部」で乗り換えなどを調べ,神戸は六甲アイランドへ向かった。JR住吉駅から出ているアイランドまでの新交通システム六甲ライナーがすごい。遠隔無人操作で運転されており,車輪はゴムタイヤらしく騒音がない。電力も車体の横から供給されているようだ。電源が柵の役目をしているので,高架であるが脱線することはないように思えた。眺めがいい。港を見下ろし,振り返れば六甲山の峰峰が一望できる(はずであった)。
帰りに気づいたことだが,この乗り物の窓がこれまたすごい。ビルの谷間を縫って走るのだが,マンションの窓に近づくと乗り物の窓がさーっと曇りガラスとなり,マンション側の様子が見えなくなる。遠ざかるとガラスは透明になる。プライバシーに配慮しているのである。しかし仕組みはどうなっているのだろう。不思議でしかたがない。
アイランド北口駅で降り,神戸市立小磯記念美術館を訪ねた。小磯良平といえばあの端正な画風で知られる神戸出身の洋画家である。
アカデミックなようで小磯独特の描写と色彩があり,それが好きだ。ゆっくりと作品を見ることができた。
それと運よく特別展もあり,小磯を含め日本近代洋画家7人による「個人美術館散歩」展も見ることができた。
久米桂一郎,熊谷守一,萬鉄五郎,東郷青児,荻須高徳,三岸好太郎の個人美術館収蔵品が一堂に会した。
同じアイランドにある神戸ファッション美術館では「手塚治虫アニメーション展」を見た。なつかしい『少年』掲載時の鉄腕アトムに会えた。
8月25日(土)晴れのち曇り
暑いといっても日が落ちるのがいくぶん早くなったように思える。虫の鳴き声も大きくなり,夜風もひんやりしたものが吹いてくる。
夕方5時頃から日が陰ったので,秋野菜の作付け準備のため,管理機を使い耕耘した。師匠にいわれたからである。秋じゃがと大根とネギを植えるためである。トマトとゴマを植えたところを片づけていた。台風以来雨が降っていないので土がかたい。少し丁寧に耕しておいた。もうひと雨ほしい。
日本イチジクが熟れ始めた。
8月24日(金)晴れ
小学校の夏休みの宿題。思い出せばきりがないほど思い出される。26,7日頃はまだ脳天気に遊んでいる。尻に火がつくといえば自分の尻にだが,たいてい親の尻に火をつける。30日ごろ「なんでもっとはよーゆわんか」もう泣き出している。絵も描けていない。工作もできていない。日記も書けていない。できているというか判が押されているのはラジオ体操の出席票ぐらいなものである。絵も工作も9割以上親の作品である。親父さんに漫画雑誌に載っていたのをまねて作ってもらい提出したものが,発明工夫展にまでいってしまいかなり後ろめたさを感じたこともある。ほんとにありがたかった。怒りながらも宿題のかたちを整えてくれたのである。
それに引き替え弟たちは器用であったのだろう。さっさと自分でかなりのものを描いたり作ったりして学校へ持って行っていた。このときはすこし嫉妬さえ感じた。
去年,次男がyoshikoさんに絵を手伝わさせて「ふーん,だんだんぼくが描いたように思えてきた」といったので,頭をなぐっちゃろうかと思ったが,やはり親の子だと思い,やめた。
ゴーヤチャンプルーとミョウガの酢漬け
8月23日(木)晴れ
台風11号がさり,青空がもどった。
お地蔵様の行事があった。地蔵盆というものらしいが,正式には陰暦の7月24日のようだ。
町内の真ん中どころにあるお地蔵様の前を車で通りかかると,組み内の人に声をかけられ,お接待のスナック菓子をいただいた。なんだか気恥ずかしい思いがした。
お地蔵様といえば子どものころはとても楽しみにしていたものである。夏休みも終わりに近づき,少々宿題も気になるころだが,宵には町内の子どもたちが集まり,おとなの読経のあとお接待をいただく。翌日早朝によその町内に繰り出し地蔵巡りをする。というよりお接待のはしごである。めいめいに大きな袋を持ち,巡り歩く。あそこの町内のせんべいは多いとか少ないとか品定めをしながら,多いときは10カ所ぐらいはいく。自転車に乗るようになるとさらに行動範囲が広がる。お地蔵様の日は豊かな気持ちになったものだ。
昔はまずお地蔵様の前を集合場所にして,それから遊びなどを始めたものである。お地蔵様もいまは子どもが少なくなりさびしいことだろう。
8月21日(火)雨
台風は紀伊半島沖をゆっくり北上している。雨も降ったが風も多少あり,柿がかなり落ちた。サボテンの鉢を家の中に入れておいて正解だった。
8月19日(日)晴れのち曇り
風があるので比較的朝のうちは過ごしやすいと思っていた。しかし腹痛に見舞われ,ごろごろと寝ころんでテレビを眺める一日となった。
台風が来たらどうしよう。雨がふってくれるのはいいが,風は困る。シャコバサボテンなどを待避させなければならない。津山に赴任していたときは「台風がくる!」と電話をしてyoshikoさんに何回も家の中に入れてもらった。鉢数にして150ぐらいだがたいへんだった。めいわくかけたと思っている。とくにスタンダードづくりにしているのは貴重なので風に当てたらまずい。まあそう思っているのは当人だけのようであまりほかの者は関心がない。
8月18日(土)晴れのちにわか雨
台風が来ているようだが雨が降ればありがたい。そう思っていたら通り雨にすぎなかったがざーっと来た。ニガウリが生きかえるだろう。トマトはダウンしていたのでだめか。師匠はゴマを刈って収穫すると言っていたが,もうそういう時期なのだ。葉っぱをむしりさやだけ残し茎を乾燥する。はじけたさやを下に向け棒でたたくとゴマが出てくる。
W氏(パソコンの師匠)の家で,現在使用しているルーターを利用してADSLブロードバンドにできるか試してみると,できた。LANカードを足すだけでADSLをLANで使えるのはうれしい。何しろISDNの10倍の早さが得られる。9月が待ち遠しい。
8月15日(水)晴れ
この日はやはり,気持ちを新たにし,また忘れないよう国民一人ひとりが語り伝える日だと思う。
個人的には20年前のやはり暑かったこの日に,長女が自転車に乗れるようになった日に,二女が生まれた。きょう二十歳になった。
長い夏季休暇の最後の日。話題になっているアニメを見に行こうと一家総出となったが,映画館は長蛇の列,きょう見られるのは午後5時頃からだという。女性どもはレディースデイとかで半額で見られるといい,さっさと予約をしてどこかへ消えていった。残された例外たちはショッピング街で過ごし,約1名は展示のマッサージ機の機能を十分検証して帰路についた。
畑でひっそり実ったキャンベル(ぶどう)を収穫した。これぞ昔からの懐かしいブドウの味である。
キャンベルアーリー
8月14日(火)晴れ
手近ですばらしい避暑地がある。私立図書館である。午前10時の開館前にはすでに玄関でかなり行列ができている。何より冷房が適度にきいており,空気がきれいだ。静かだ。本を前にしてわくわくした気持ちがそうさせるのか,まず手洗いに行きたくなる。すっきりしたところで書架に向かう。遠近両用めがねの上の部分を使って本の背表紙をなぞっていく。ちょうどいいところにスツールがあり,そこに腰を下ろして本棚の下部を見渡す。たいていは好きな作家をアイウエオ順に見ていく。一人7冊借れるのだが,2週間でそんなには読めない。それでもハウツーものを4冊と小説を3冊借りてしまう。帰りがけに雑誌コーナーに立ち寄りパソコン雑誌に目を通す。つかの間のリゾート気分を味わい,焼けたハンドルを握り,吹き出す汗をぬぐいながら家に帰る(ただし今年のカーエアコンの調子はすこぶるいい)。
夜はミニ同窓会があった。トマトジュースを3本飲んだ。
8月13日(月)やっぱり晴れ
2女がいろいろふだんやらないことをしてくれたので雨が降るかと期待したが降らなかった。網戸を掃除したのと晩ご飯を作ったからだが。
盆客が大勢みえられた。お盆には,精霊は迎え火をたいて家の方にお出ましだからお墓へは参らなくていいのではと衆議一決して,暑い盛りには墓参りにいかないことにした。
でも今晩迎え火をたいた。
8月12日(日)晴れ
少し気持ちとして涼しく感じるのだろうか。7月の終わり頃のあのうだるような暑さは感じられない。
お盆のお墓参りのお客さんも来られるようになった。日中の墓参りは苦行である。墓参りのとき畑のゴーヤなどを見るが葉がだらりとしていまにもツルが干からびそうである。夕方には少しでも水をやらねばと思い木陰の中を縫うようにして帰った。
8月10日(金)うれしいにわか雨
きのうの岡山市では篠(しの)つく雨といわんばかりの勢いで降ったのに,27キロ西の玉島ではまったく降らなかった。
きょうはお天道様も見かねたのか玉島にも降らせてくれた。ちょうどホースで散水をやや多めにしたかなあという量の雨だった。庭木のツゲ,サツキ,ツバキなどが生き返った。
ブドウを一房収穫した。叔父が来ていたので食べてもらったら「おいしい」といってくれた。なんだか生まれて初めて自分で作った物のように思える。本格的に棚を作って日よけのかわりにしてみようかしらん,とはや妄想が駈けめぐる。
安芸クイーン
8月6日(月)晴れのち夕立あり
干天の慈雨とはこのことか。やっと降ってくれた。欲を言えばもう少し降ってほしかったが,それでも作物は潤った。水やりをしなくて済んだだけでもありがたい。ゴマやササゲが一息ついたことだろう。水やりも後回しにされる作物だったので気が引けていたから。
8月5日(日)晴れ
この異常な暑さは伯父の桃のできばえにも影響した。玉ぶとりと歩留まりが悪いらしい。せっかく手入れをしてきたのに収穫が思うようにいかないぐらい残念なことはない。
稲にとって,十分水が潅水できればこの高温は豊作につながるだろうが,山の棚田は水不足のようだ。
それにしてもゴマという植物の強さはどうだ。この暑さにもとても元気だ。このテンカラ干しのしたでも堂々と花を咲かせ実を作っている。
セサミパワーはこういう成長時の強さからできるのだろうか。
8月4日(土)もううんざりの晴れ
もうこうなったら屋根にソーラー発電パネルを張りつめ,その電気でパソコンやら扇風機を回さなければだめだと思う。湯だけを沸かすには太陽のエネルギーがもったいない。光を受ける効率面から,もう少し家を南側に向けて建てるべきだった。
夕方雷がなり,ひと雨来そうな気配がしたがカラ降りだった。町では玉島みなと祭りがあるから降ったら困るだろうが,植物にはぜひともひと雨ほしいところである。あしたは花火大会だからやはり降れというと主催者に怒られるか。
雷にやられたルーターはなおらなかった。電話が使えなくなっただけでルーター機能は使えるので不幸中の幸いではあった。近々ADSLが導入できそうだ。早さはISDNの20倍を標榜しているので楽しみである。画像やファイルのダウンロードがはやくなるぞー
8月2日(木)カラカラの晴れ
一滴の雨も降らない日がもう10日以上続いている。ちょっと山寄りではにわか雨もあるようだが,我が家のあたりは皆目降らない。
庭木にやる水道水ももったいないので,汚水ますの大きいのに山水(と思っているが上の家の風呂の廃水かもしれない)が溜まるのでそれを水中ポンプで汲み散水した。
さすがにブルーベリーとブドウには水道水をまいた。ブドウが食べられるようになるのが待ち遠しい。
夕方には師匠に付いて山の畑の作物にほんのわずかだが水をやった。キュウリもスイカもニガウリもツルがまいってしまう寸前である。本当にひと雨ほしい。
熟れすぎたゴーヤ
7月29日(日)晴れ
この猛暑で長年いい香りを楽しませてくれたチンチョウゲを枯らしてしまった。古やしきにあるので水をやるのを忘れていた。それにしてもいままでは特に水をやらなくても植木が枯れるようなことはなかった。異常な暑さなのだ。
ゴーヤもしゃきっとしていない。畑のブルーベリーが弱っている。夕立でもいいからひと雨ほしい。
鉢植えのブルーベリーは何とか水やりができるので,ティフブルーとウッダーッドの実ったのをつみ取り,ジャムにした。
7月22日(日)晴れ
ブドウが色づき始めたのを気にしているのは我が家のものだけではなく,どうも鳥も気がついたようだ。
木の根元に潅水しているとブドウの粒が落ちているのを見つけた。それも半分かじられたようになっている。このあいだこっそり一粒味わったが酸っぱいものの吐き出しはしなかった。これは鳥の仕業だ。どうするのがベリエーかとしゃれている場合ではない(ブドウは安芸クイーンだからかなり高級品)。
そこでいらなくなったCD−ROMをブドウの房の周りにぶら下げてみることにした。ピカピカしているので朝日が出ていれば反射して鳥にもまぶしいだろう。どうか効き目がありますように。
7月21日(土)晴れ
急に蝉の声が大きく聞こえるようになったと思うが気のせいではないだろう。いよいよ暑い夏の到来だ。
夏の味覚も次々にやってくる。叔父の家からはスイカの立派なもの。弟からは高級ブドウ。冷蔵庫の中にはいつも真っ赤に熟れたトマトがある。三連休の中日なのでよけいうれしくなる。
ルーターがこの間の落雷でこわれ,修理に出す。見積もりが出てから修理をするかどうか判断することにした。中身をごっそり換えるというのであれば修理というものではないのでやめる。
くらしき作陽大学の公開講座「百人百話」も最終回。最終回にふさわしい講師のお話であった。同大学の食文化学部学部長の馬淵久夫教授によるお話だった。
馬淵先生のご専門は放射化学,同位体宇宙地球化学,考古化学,文化財科学である。
お話は考古化学から導かれると思われる@先史人類の知恵A人間の文字の発明B活版印刷術Cトランジスタの発明Dインターネットの普及へと人類の知の集積が進んだが,21世紀はアメリカを中心とする世界システムから脱皮して,インターネットなどを中心にした智の深化へと進むのではないか,というご提言だった。
この馬淵先生はまた高名なオルガニストでもある。公開講座の建物「聖徳殿」は法隆寺の夢殿をイメージしているそうだ。そこにふさわしい楽器ということでオルガンが設置されることになり,馬淵先生により設置が進められたそうだ。
講義が終わると,先生はオルガン演奏用の靴に履き替えられパイプオルガンの観音開きになっている鍵盤部分を開き演奏を始められた。荘厳なオルガンの響きがホール内に満ちる。曲名を聞き漏らしたがバッハの曲だそうだ。両手と両足全身を使い演奏される。暑さを忘れるふくよかな音にすっぽり包まれたひとときであった。
トマトとニガウリがたくさんできた。作者と記念撮影
ゴマの花
7月20日(金)晴れ
小中学校のときはきょうから夏休みだった。休みが始まるやいなや,弟たちとかたちばかりの勉強道具を持って,師匠(母)の実家に,結果的には8月の終わり頃まで行っていた。いとこがおり祖母がおり,伯父伯母ともみんなでわいわい夕飯を食べた。けっして我が家がいやだからというのではない。夏休みはいとこたちのいる伯父の家で過ごすものと思っていた。途中,母もきて骨休めをして帰る。実家ということもあり本当にのんびりできたのであろう。
遊びといったら川での魚とりやテレビを見ることだけだが退屈しなかった。むしろ我が家にはまだテレビがなかったのでそれを見に行くのが目的だったかもしれない。弟と違ってあまり素直ではなかった。テレビも見るが納戸の方にあった婦人雑誌や「家の光」をなぜか隠れるようにして読んだ記憶がある。漫画雑誌も従兄が持っており隣近所の子も持っておりたくさん読めた。手塚治虫の鉄腕アトムが載っていた雑誌『少年』が好きだった。従姉の『少女』も読んだ。
そういうことであっという間に休みも終わりに近づく。そのころから親父の顔がちらつく。夕方重い足どりで我が家に帰ると畑仕事から帰ってきた親父が「勉強はいつするんならやー」とたたみかける。登校日まであと2,3日しかない。それでも親父さんに泣きつき,夏休みの工作や絵が何とかできあがり,かなり後ろめたさを感じながら登校するというのが夏休みというものであった。
次男の夏休みが始まったが,早きょうから補習と模擬試験だそうだ。かわいそう
ブドウが熟れて食べられるころとなったが,鳥もねらっているようである。せっかくつくったものを食べられてなるものか。なにか対策を講じなければいけない。ハーブも茂りレモングラスなどはススキと見違えるくらいになった。
7月15日(日)曇りのち一時雨
敷布団から離れたのは午前9時前だった。ウイークデーなら完全な遅刻だ。なんだかからだがだるい。枕元に多くの本を前夜から並べているがどれもしっかり読んでいないので消化不良をおこしているようだ。『自分で解決!パソコンのトラブル』高橋浩子著(宝島新書),『利休・破調の悲劇』杉本苑子著(講談社文庫),『鳥たちの舞うとき』高木仁三郎著(工作舎),どれかひとつにするべきだ。
子どもたちが倉敷のショッピングモールに行くというのでついて行った。駐車場は冷房機の廃熱で数分といられない。店の中はオアシスだ。涼しさとディスプレイの明るさに惹かれ,お金がなくともしゃれた品物にはつい目がいってしまう。それでもおじさんはこういう所ではすぐ疲れる。ベンチを探し,子どもたちの買い物が済むまで,ただあたりをきょろきょろ見回したりして所在なげに彼らの戻ってくるのを待つ。
ブルーベリーを初めてジャムにした。小さい器に入れて砂糖を加え電子レンジで数分,福田さんがサイトに書かれているとおり,簡単にできた。
ブルーベリーのジャム
7月14日(土)晴れ
あさから気温は30度。師匠の信心している神様の教会では夏祈祷の準備がなされていた。カヤで組まれた大きな輪をこしらえつつあった。輪くぐりの神事である。夏の病気にかからないよう,その輪をくぐりおかげをこうお祭りなのだが,我が家はあまり信心深くなく,人形型をした紙に家族の名前を書いたものを届けてそのご祈祷をお願いした。
それから作陽大学の公開講座に行った。今日の講師は作家の杉本苑子さん。この講座も99人目で実質外部講師は杉本さんが最後だそうだ。本日のテーマは「戦国時代の茶と利休の死」というものであった。
杉本さんのご本はあまり読んだことはない。歴史がさっぱりだめなので近づこうとしないわけだが,このように数メートル先にご本人がおられ,秀吉から利休が死を賜ったのは秀吉との美意識の違いからとか意見のぶつかり合いからなどと言われるが,私はそうは思わないと,杉本さんのお口から直に発せられるとやはり身を乗り出してしまう。公開講座の幸せを感じる一瞬だ。
杉本さんは「現代の茶の湯と戦国時代の茶の湯を同じように考えてはいけない。あのころは戦いが終わりまだ血のにおいが手に残ったまま茶を飲んだ。確かに利休は茶の湯を芸術にまで高めた人だが,背景に堺の自治的な組織まで持った豪商たちの戦国武将に対するものとか,好戦的な秀吉に朝鮮出兵をそそのかした博多商人との打算的な利害関係などが,影響して些細なことで利休を死に追いやったと思う」と,また間違って聞いて帰ってしまったかもしれないが,そのような興味をそそられるお話だった。著書を買い求め,サインしていただいた。
ゴーヤが食べられる大きさとなり,安芸クイーン(ブドウ)が色づき始めた。
7月8日(日)晴れ
おととい,ひと雨あったので今朝は比較的涼しい。気になっていたヤマモモのしたの斜面のAを刈った。朝から草刈り機のエンジン音をとどろかせたので近所の方はさぞ迷惑だったろう。しかしエンジンの調子はよく,超硬合金のチップのついた回転刃の切れ味もよく,自分としては気分がよかった。蚊がまとわりつく夏の草刈りは,エンジンのかかりがよくないと最悪となる。それも夕方にすると「日(ひ)ゃー暮れるし,目(み)ゃー見えんし,蚊(か)ーくーし,こどまー(子ども)泣くし,もーいのーいのー」という岡山弁の典型になるところである。きょうは朝のうちにすんだ。シャワーを浴び,新聞を見る。きのうの中村鴈治郎さんのことも記事になっていた。
レモングラス
7月7日(土)曇り
梅雨前線が南下したということで,きのうから雨模様で,気温も前日からくらべるとかなり下がった。まだ7月初めだというのにこの暑さは尋常ではない。毎日熱いエンジンを抱えたものが海に空に飛び交い,またこのようにパソコンの電源は入れっぱなしなのだから,地球の冷える間がないだろう。やはりこのさんさんと降り注ぐ太陽エネルギーを何とか安いコストで電気などに変えるしかない。と思いながらも光合成を助けるための作業など何もせずごろごろした。きのうのアフターファイブに大きな玉を転がしたのも影響している。点数を書いた紙が手元にあるが見る気もしない。
作陽大学公開講座には中村鴈治郎さんがお見えになった。上方歌舞伎の大御所である。司会者から扇国土交通大臣のことに少しふれたが鴈治郎さん「一緒に暮らすことは少ないが,目指す方向は同じで日々電話などで連絡しあっている」と夫婦の絆もしっかりというところをアピールされていた。
鴈治郎さんが何度もいわれたことは「伝統芸術にたずさわれること,日本人に生まれたしあわせ」である。
また江戸歌舞伎と上方歌舞伎の違いもおっしゃった。江戸歌舞伎はいろんなかたちを作りあげた様式美を重んじている。一方,上方歌舞伎は和事(歌舞伎の男女の濡れ事世話場などのつやっぽい場面)を演じることが多いので自ずと様式にはあまりこだわらないという。
この5月にシェークスピアの本場ロンドンで,近松の「曽根崎心中」を公演し絶賛されたそうだ。鴈治郎さん曰く,「日本の伝統美をそのまま持っていき,イギリス人に日本人の心を伝えることができた。このときも日本人に生まれてよかった」とお感じになったそうだ。お客も終いにはイヤホンをはずして聞き入り,カーテンコールがやまないのには困ったとも言われていた。上方歌舞伎には自由奔放さがあるということが,鴈治郎さんのお話から聞き取れた。
いっぺん大阪で歌舞伎を見てみたいと思った。
サルスベリ