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8月31日(木)曇りのち雨
日照りが続いたからまさに干天の慈雨である。ツルだけになっていたサツマイモが生き返るだろうか。

ブドウは色は着かないが甘い(安芸クイーンだから赤紫になるはずだが)。

猫も雨を待っていた。

休みを取って夏休みの宿題(状差し?)をやっと済ませた。やはり自力ではできなかった。弟に材料の提供と切断をしてもらった。組み立てはうまくいった。

ゴーヤチャンプルーは夏ばてにいいらしい。


8月30日(水)曇り
雨を期待したが降らなかったようだ。

スズムシが鳴き始めた。スズムシのメロディにコオロギがリズムを切る虫のオーケストラ
夜は涼しい風が家の中にも入ってくるようになった。

8月28日(月)曇りのち晴れ
友よりスズムシをいただいた。20年間も飼い続けているとのこと。
秋の訪れを涼やかな声で知らせてくれることと思う。鳴き出すのが楽しみだ。

猫もバテ気味。


8月26日(土)晴れ
意を決して,山の畑に行ってみる。上がるだけで汗が噴き出す。畑は案の定,草ぼうぼうだった。草まで萎れている。サツマイモのツルは草の中で見えない。しかし落花生は,草取りをしていたこともあり,青々としていた。暑さに強い作物である。
畑の周りだけ草刈り機で刈り,山を下りてきた。朝の涼しいときに行くべきだ。それにしてもひと雨ほしい。

午後から図書館に行った。宿題の追い込みの学生もあり大勢だった。ここは涼しい。そして静かだから最高である。
吉村昭さんを偲ぶため,この人の短編集『天に遊ぶ』(新潮社)を借りた。吉村さんの小説は精緻を極めたすがすがしいものばかりで,しかも長編が多い。晩年は短編にも新境地を開いたとご自身が言われていた。

8月24日(木)晴れ
休暇をとり,夏休み最後の自由研究に出かけた。いつものとおり助手席に乗って,まずは高梁市へ。テレビで紹介されていた駄菓子屋さんへ行く。懐かしいガラスのケースに,量り売りのお菓子がずらりと並ぶ。おじさんでもウキウキする。yoshikoさんも上気したようにあれこれ買う。よほどうれしかったのだろう。
かなり日差しも強くなったが,古い町並みの陰になった側を歩いた。しもた屋が多く,高梁の商店街も寂れていた。市営駐車場でもらった観光マップに載っていた醤油蔵を訪ねた。ほんとうの醤油が作られていた場所であろう。一つひとつの道具が往時を物語っていた。いまもこの蔵で作られていたような本当の醤油があるのだろうかと思う。蔵の一角にはなぜだか古い蓄音機やレコードのコレクションもあり,昭和3,40年代を思い出させてくれた。
帰路は美星町の青空市に寄り,そうめん瓜とおいしい牛乳を買った。


8月23日(水)晴れ
今日はわが町内も地蔵盆。当番の人たちが執り行う。仕事の帰り,お地蔵様の前を通りかかると,手招きをしてくれたので車を止めた。当番のお一人がお接待のお菓子と赤飯を差し出してくれ,失礼だったが車から窓越しに頂いた。
子どものころは翌日の朝各町内を回り,お菓子のお接待を受け,その収穫を自慢しあった。これが夏休みの最後の楽しみとなり,できてない宿題が一気に気になりはじめたものだ。

8月20日(日)晴れ
台風が少し雨を降らせたがお湿り程度で猛暑が戻ってきた。甲子園では激闘が繰り広げられ,決勝が明日に持ち越された。両者の好プレーに思わず背筋を伸ばしてテレビ観戦した。どちらも勝たせたい思いである。

母は暑い日中もゴマの束をたたき,実を取り出していた。白いゴマと黒いゴマがたくさんとれたようである。


8月15日(火)晴れ
例年盆の前後にゴマを刈り,収穫しているとのことで,母は朝早く畑に出かけて行った。すでに日は昇り,かなり暑い。刈り集め,小束にして乾燥させる。莢が開くと束を逆さにしてたたいて,ゴマ粒を取り出す。

クルミが成っていた。


8月14日(月)晴れ
今日も暑いが,涼しい朝のうちは家族で墓参りをする人が,わが家の前を通って行った。

おととい当直で読んだ新聞で,吉村昭さんが亡くなっていたことを知った。不覚だった。7月31日のことだった。
この方の本はあまり多くは読んでいないが,どの小説も感動した記憶がある。二十歳のころ,最初に読んだのが『高熱隧道』だった。歴史小説でも現代小説でも,題材を調べ尽くして,圧倒的な筆力によって書かれた作品はどれもすごかった。映画化された作品も多い。『漂流』『魚影の群れ』『うなぎ』などだが,本ももう一度読んでみたい。

8月13日(日)晴れ
母が毎年植えているゴマが今年も実りつつある。ゴマは日照りに強いというが,連日の暑さに葉が黄色くなり,落葉したものもある。ゴマには大きな芋虫がつくが母はこれを毎日手で摘んで駆除する。

暑さにもびくともしないのが雑草である。ヘクソカズラ,ヤイトバナともいうらしいが,名前に似合わずかわいい花をつけている。

家のかどに水棚を置き,精霊を招く「迎え火」を焚いた。水棚にも供物を置き,餓鬼仏の供養も兼ねる昔からの習わしである。


8月6日(日)晴れ
今日も気温は体温計と同じ目盛りをさしている。高校球児がこの炎天下でプレーしているすがたに感動する。この平和をいつまでもと,本日は特に感じ入る。

わが町も夏祭りでにぎわっている。昨日は若者らによるダンスコンテストが行われ,今夜は花火大会がハーバーアイランド(コンテナ基地)であった。弟のレジャーボートに乗せてもらい,海上から花火見物という贅沢をした。海は瀬戸内の特徴である「べた凪」だったが,花火が始まるころには心地よい風がふき,昼間の暑さを忘れさせてくれた。月も大きくふんいきは最高のうちに,夜空に大輪の花が咲いた。距離も近いので音と光にずれが少ない。周りの船からも花火が上がるたびに歓声が聞こえてくる。
洋上からの花火を満喫した。


8月4日(金)晴れ
夏まっ盛り。岡山では花火大会があり,駅には浴衣姿の若者であふれていた。去年はともだちのふるさとで大花火を満喫したものである。

久しぶりに駅の地下の本屋に立ち寄った。気にはしていたのだが,平積みになっていた柳沢桂子さんの『母なる大地』(新潮文庫)を見つけた。柳沢さんは難病とたたかいながら,人間の生命について研究を続けてこられた生命科学者である。般若心経の新しい解釈『生きて死ぬ知恵』の人である。文庫本は解説もあるのでそれも楽しみである。なんとこの解説が山下惣一さんである。もっと早く買えばよかったと思う。

7月30日(日)晴れ
山の畑の草におどろきながらも,30分間ほどしゃがんで落花生の周りをむしった。焼け石に水という感じだが少しは違うだろうと思い,蚊に悩まされながらの奮闘だった。
それでも汗を流したあとのシャワーは気持ちいい。ソーラーの湯なら,なおさらいいのだが壊れたので仕方がない。

昼はゴロゴロしながら休暇中に読めたらいいなと思う本を新聞の書評欄で探す。目についたのが藤田千恵子さんの『これさえあれば』(文藝春秋)。日本の調味料である,しょうゆ,酢,塩,みそ,みりんを作る人々を取り上げた本だという。ほんとうの調味料の味をもう忘れているのかもしれない。
あと,宮部さんと重松さんの新刊があれば暑くてもしあわせなのだがなー

7月29日(土)晴れ
この時季ならガスを使用することはなく,太陽熱だけで風呂の湯は沸いていた。11年間休みなく稼働していた太陽熱温水器がついに壊れたようである。モーターなどの駆動部は正常に動いているものの屋根に上げた集熱板との熱交換ができなくなっている。屋根上の集熱板を見ると水が漏れているようなのでそうなのであろう。バルブを切り替えガスボイラーだけでわかすようにした。よく動いてくれたものと思う。
ガスの形式が天然ガスに切り替わったら,ガスエンジンによる発電システムもいいかなと思う。

7月26日(水)晴れ
いただいたデンドロビウム。花だけ楽しんでほったらかしにしていた。植え替えの時季はとっくに過ぎているのだが,鉢がはち切れそうになっているので株分けをした。水苔だけでいいらしい。2鉢になった。

もう一つはち切れそうになっていたのがキンリョウヘン。これは日本ミツバチを呼び寄せる力があるらしい。W辺氏にいただいた。これは5鉢に分けた。


7月23日(日)雨
気になっていたぶどうの袋かけをした。今年もやはり花序の間引き方がまずかったのか,房の出来がよくない。思い切りが悪いので中途半端になるのだろう。まー売り物ではないのだからと納得させながら済ませた。

芝居『紙屋町さくらホテル』は期待していたとおり,たいへんよかった。まさに笑いと涙で感動しどおしだった。席もよかった。前から5列目の席から,役者のせりふを同じ高さの目線で受け止められる感激を味わった。井上さんの計算し尽くされたせりふを役者によって命が吹き込まれ,観客が感動の渦に引きこまれていくのを同時に自分の肌で感じられるのだから最高だ。
酔いしれているだけではいけない。この芝居から送られてくるメッセージを本気で考え,自分の生き方に替えてこそ観たということが言えるのだと思う。


7月22日(土)晴れ
久々の日差しがまばゆい。しかし暑くもなった。

明日は,原爆記念日にふさわしい芝居,『紙屋町さくらホテル』(こまつ座)を観る予定である。
井上さんは一貫して戦争責任を問うてこられた。そして現行憲法をこよなく愛しておられ,その発言も多い。
井上さんの小説と芝居に接することが何より楽しみでうれしい。

7月20日(木)雨
梅雨が明ける気配を見せない。最近の雨の降り方は尋常でない。わが家も斜面に立っているから,いつ土砂が崩れてくるかわからない。
今年もブラックベリーがなっているが,まだジャムにはしていない。大粒の種があるので裏ごしをするのが面倒である。
ぶどうの袋かけもまだである。

子猫は2匹もらい手があり,それぞれの家にもらわれて行った。かなりふてぶてしいのが残っている。


7月16日(日)曇り,夕立
ミツバチも暑いのだろう。巣の外からしきりに羽を動かし中に風を送る役目のハチがいる。本当に健気である。自分自身も暑かろうにと思う。
巣の中が大きくなったようなので,一番下に新しい巣箱を潜り込ませ4段とした。そうすると最上段をはずして採蜜ということになるのだろうか。W辺氏に聞かなくちゃー

夕方,重い腰を上げ山の畑へ行った。想像していたとおり,イモヅルと落花生が雑草に埋もれていた。草刈り機で畑の縁だけでもと思い刈ったがたいへんだった。しゃがみ込んで,落花生の周りの草を手で抜いていたら,にわかに空がかき曇り,雷が鳴り出した。昔からよく雷の落ちる畑と聞いていたので,鎌を放り投げ這々の体で逃げ帰ってきた。


7月15日(土)曇り
梅雨明けが近いのか雷がゴロゴロと鳴る。こどものころは「どんどろ様」といって恐がり,蚊帳の中に逃げ込んでいた。

子猫がルッコラの鉢に寝そべっており,台無しである。

午後はくらしき作陽大学の公開講座に行った。
本日の講師は木山潔さん。昨年の今ごろミュージカル「はだしのゲン」を観た。そのプロデューサーである。劇団「木山事務所」の代表者だ。木山事務所は現在「壁の中の妖精」で九州を公演中とのこと。
「はだしのゲン」は,木山さんが原爆のことを最初に芝居にしたものという。その反響はアメリカでも韓国でも大きかった。
俳優の広瀬彩さんも来場され,講座の中で詩の朗読をされた。「はだしのゲン」で広瀬さんはゲンのお姉さん役だった。


7月9日(日)晴れ
暑い。湿気があるのでじっとりする暑さだ。

(7月8日のこと)
花壇に目をやると月下美人が咲こうとしているのだと思った。
急いで家の中に入れて開花を待つがどうもあやしい。花の首が垂れている。いつまで経っても開かない。
やはり,昨日(7月7日)ひっそりと誰にも見られず咲いてしまったようだ。
咲いたのを見てやらないままのことがよくある。もったいないことだ。


7月8日(土)雨
活発な梅雨前線と台風の影響か,強い雨が降ったりやんだりの一日だった。
古屋敷の一角に母が数十年前,お寺から持ち帰ったバナナの木がある。露地植えなので毎年霜にやられては枯れるのだが,今年はバナナのかたちをしたものが見える。これから暑くなるのでひょっとして食べられるくらいに大きくなるのかしらん?と思うがどうだかなー。楽しみでもある。
ミツバチが巣の外で群がっている。

午後,くらしき作陽大学へ。今日の講師はあのAMDAの代表菅波茂さんである。世界のどこに災害があってもいち早く駆けつけるNGOである。22年の実績があるこの団体だが,困難な条件を乗り越えるために,「定義のないところに対策なし」という考えで,即応力を培ってこられたことを熱く語られた。


7月1日(土)雨
午前中は強い雨だったが,午後のいっときはやんでくれた。くらしき作陽大学の本日の講師は歌人の岡野弘彦さん(82歳)だった。公開講座の通しのテーマが「戦争と平和」であり,今日の講師も戦前,戦中,戦後を体験され,そしてずっと日本の古代史研究と創作活動をしてこられたすごいお人だ。言霊というように言葉は魂の表れであり,万葉集のなかでも防人の歌に,戦争にゆく若者の真の気持ちが表れていると言われた。
7月7日のご自分の誕生日には,7番目の歌集『バグダッド燃ゆ』を出版されるそうである。
いまの憲法をしっかり守らねばならないともおっしゃった。