6月13日(土)曇りのち晴れ
空梅雨の午後,友とやぶの中にはいり,野菜の垣根に使う竹を探している時出会った。
淡竹(はちく)の先端に付いていた。
竹にぶら下がるトックリ?それも轆轤で挽いたように精緻な鶴首で,おどろきである。
何なんだろうと思い,持ち帰った。蜂の巣であろうという予測はしていたが,果たしてこれはコガタスズメバチのものであった。しかも女王蜂が春から夏にかけて,単独営巣をしている過程のものという。トックリの口をのぞくと,六角形のハニカムが見え,その中に幼虫が数匹うごめいている。二度目のびっくりである。
サイトの説明によると孵化した働き蜂がこの巣を食い破り,トックリの上に新たな巣を築いていくという。
巣はとてももろく,誤って首の部分に触れ,欠いてしまった。だから最初は首の部分がもう少し長かった。
それにしても昆虫のすばらしい造形美である(よく女王蜂には出くわさなかったものだと思う)。
5月23日(土)曇り
3人で新緑の山へハイキング。大山の沢には残雪がある。ブナの葉は雨のしずくを残しており,山道も少しぬかるんで,時に滑りそうになる。車を降りて,峠の山小屋まで約1時間。最初は棒きれを杖代わりに持っていたが,調子が出たのかいつの間にか手から放していた。それでも仲間よりかなり遅れて小屋に着いた。S藤料理長がすでに谷のわき水を汲んで,準備にかかってくれていた。緑に囲まれた山小屋のオープンテラスで食べるそうめんは最高のごちそうである。そうめんの上にあしらわれたモミジの葉がしゃれており,いっそう食欲がそそられる。あっという間に平らげた。
ちょうどタニウツギが方々に咲いており,緑の中でピンクが一層あざやかだった。
5月20日(水)晴れ
乾燥した日が続く。師匠の作るサツマイモの苗蔓がかなり伸びており,雨を待っていられない。
山の畑になんとか6通り,100本ばかり植えた(正確には挿した)。あとは一雨ほしい。
ピーナッツの芽がペットボトルの中に見える。これにも雨がほしい。
小梅を収穫した。
畑の帰りに,淡竹(はちく)の穂先タケノコもとった。いまごろ淡竹のタケノコが生えるが,孟宗竹の掘りタケノコのように目を皿のようにして探さないので,伸びた穂先タケノコとなる。それでも淡竹のタケノコは柔らかくえぐみもないので,水だけで茹でておいしい。そら豆との煮物はこの時季ならでは一品である。
6月になると真竹のタケノコが生える。真竹はトマトなどの支柱などに用途は広いが,タケノコはあまりおいしくない。
5月11日(月)晴れ
この春からずっと連休なのに,なにもかも空回りの状態で,忸怩たる思いが益すばかり。
やっと山の畑に上がるようになり,すっかりまわりは緑となった。気温は夏の暑さである。
落花生とサツマイモの畝を作るが,日が昇っての作業だから,すぐ木陰に入って休むことになる。
小梅がたわわになる枝の下は涼しくていい。小鳥の声がもううるさいくらい。きょとんとしていたら,突然キジの雄が通り過ぎたりする。びっくり!動画
ビワの高接ぎをしていたのが活着したようである。
5月4日(日)曇り
ブドウの芽がかなり出ている。今年は栽培資料をもらっているのでうまくやらねばと思うが,すでに芽かぎの時機が過ぎたかもしれない。
師匠の芋床では芽が順調に伸びている。10日もすればイモヅルが採れるようになるだろう。畑の準備が急がれる。
サクランボは実の成りが少ないが,天気もよかったのでとても甘い。yoshikoさん,ザルにいっぱいとってほとんど一人で食べてしまった。
中にめずらしい成り方のものがあった。ひとつの軸に2つくっついている。
ミツバチの天敵オオスズメバチを捕まえた。この時季,女王蜂の単独飛行だと思われるので,秋に100匹駆除したと同じ効果がある。やっぱり大きゅうてきょうてえなー!
T&Fさんのスズメバチトラップ(自然日記5月4日)を採り入れたいと思う。
5月1日(金)晴れ
師匠の管理している畑の一部に生姜を植えさせてもらった。少しばかり天地返しをし,稲ワラなどを投入後切り分けた生姜を植え付けた。芽が出てくるまでかなりかかるようだ。新生姜が使えるのが9月ごろ
ちょうどネギが薹立ちしてネギ坊主ができており,それにミツバチが盛んにとまっていた。ネギの蜜の味はどんなのだろう。ちょっと想像がつかない。動画
4月30日(木)晴れ
気になっていた山の畑の植え付け準備にかかった。むりやり管理機による耕耘だから雑草がまだ残っている。日を改めてもう一度機械を転がすことにした。
24日に栴檀の側に置いた巣箱からハチが出入りしているので一安心
4月28日(火)晴れ午後にわか雨
岡山市東区西大寺で開かれている緑化フェアに行った。様々な花や樹木(600品種,50万本)があり,壮観であった。つい,花を訪れるミツバチがいるかなと目をこらしてしまう。ルピナスの花に西洋ミツバチを見つけたが,ニホンミツバチは見つけることができなかった。
帰りに,管理人のHPを訪問してくださった方の温室ブドウの圃場へおじゃました。お父さんと共同で育成しておられる。ちょうど果穗の整形やジベレリン処理の真っ最中であった(写真を撮るのを忘れた!)。
実はこの人はミニチュア作成の達人だったのである(管理人が知らなかっただけで,同行した義母はテレビを見て知っていた)。なんと12分の1のスケールで,あらゆるものが作られている。驚愕である。比較するものを置いて撮影しないと本物を写したとしか思えない。座卓の上に広がるミニチュアの世界にただただ唸るばかりであった。
4月25日(土)神戸は雨
長男の結婚式。当人たちでプロデュースし,親たちは招待されるかたちで,ちょっと申し訳ないという気持ちだがいたって気は楽であった。
式の場所はチャペルで,出席者全員が証人となる人前結婚という形式だった。昔はこの形式が多かったらしい。それの現代版でかえって新鮮だった。ブーケを渡し,二人で誓いの言葉を述べ,結婚証明書に署名と,なかなかしゃれている。
どうか幸せな家庭を築いてほしい。
4月24日(金)曇り
のんびりと巣箱を見回っていて,ふと桐の木付近を見るとハチが騒がしく飛び回っており,見守っていると蜂球をいつもの高さ5メートルの所へ作った。これは元の巣の位置と蜂球の大きさからして明らかに第3分封(孫分封)である。
とりこむ前に,この群れは山の畑に持って行くべく準備をした。
はしごは立てかけたままだったので,意を決して登り,一群をどうにか取り込んだ。
箱に封じ込めたまま,持って行き,栴檀の木のそばへ巣箱を設置した。気温が低く雨も降りそうだったのでハチの群れはおとなしかった。第3分封群の女王はまだ交尾を終えていないことが多いという。だから落ち着いても繁殖までは時間がかかりそう。定着してくれることを願って山を下りた。
オオデマリの花がかなり白くなった。
4月22日(水)晴れ
すっかり忘れかけられている山の畑にのぼった。サツマイモとピーナツをほりあげて以来,ほとんど近づいていないというていたらく。荒れ放題ではずかしい。
徒長した小梅の枝を整理したり,手が付けられそうになくなる一歩手前の雑草を少し刈った(いっぺんで刈らなくてもいいんだと自分に言い聞かせながら)。
小屋のそばにある八重桜がすでに咲いていたのだ。もう終わりかけており,見てやらなくて申し訳ない。
小梅はよくなっているので,梅干しはたくさん出来そう。
4月19日(日)晴れ
退職間際に買った本を寝転んで読んでいるがすぐに目が疲れ,中断してしまう。だが久々の宮部ワールドに心弾む。『英雄の書』上・下(毎日新聞社)。またまたファンタジーな世界を楽しませてくれるものと思う。
本はあまり買えないのでこれからは図書館通いに精を出すことにした。玉島図書館に行くと,町内の先輩方が行っていた。時代小説を数冊抱えておられ,カウンタそばで話した。「ストーリーをすぐ忘れてしまい,この間も同じ本を借りたんよ」「おんなじ同じ。私なんかもよく同じ文庫本を買ってきますよ」「へぇー,あんたもそーかなー」二人で変に納得し合った。
yoshikoさんも言う。「新鮮でいいじゃない。何度もよめば。もう買うこともないのじゃない?」さびしいなー・・・・
図書館で借りたのは,諸田玲子著『巣立ち(お鳥見女房)』(新潮社),泡坂妻夫著『春のとなり』(南雲堂),飯尾憲士著『殺意』(集英社)。2週間で読めないかもしれない。
4月17日(金)晴れ
昨晩も少し雨が降ったようだ。yoshikoさんが思い出したように,「タケノコが生えとるかもしれん」と,かつてミカン畑だった荒れ地に上がって行った。
途中の荒神様の境内に,山桜が,若葉の中で咲いている。今ではセクハラで訴えられるが,「あの人はヤマザクラじゃな」(花より葉が先?)と誰かが言っていたのを思い出す。
ミツバチが来ていた。
ミカン畑は竹林と化している。手入れをしないのでタケノコもあまり生えない。それでもyoshikoさんの長靴の底での探査はするどい。たちまちレジ袋2杯分のタケノコを見つけた。
タケノコはイカを入れた「木の芽和え」が最高だが,いいなあと言っただけではだめで,「作ってください」とはっきりお願いしないと食べられない。
4月15日(水)晴れ
ひさしぶりにまとまった雨があり,畑も適度に湿った。師匠はいつになったら畑に行くのだろうとやきもきしているが,今日もハチの分封があり,それどころではなかった。動画
一つ目は分封板にかなりの大きさの蜂球ができており,二回に分けて捕った。
二つ目はエノキの上。三つ目は同じ分封板に。四つ目は桐の枝。それも五メートルの高さだったので,一応ロープで安全確保して捕獲に臨んだ。夢中だったが,アルミ2段ばしごの上で足が震えた。
それぞれの巣箱に入れたがやはり逃去がこわい。
4月13日(月)晴れ
きょうもハチたちがそわそわしていると思ったら,分封が始まった。作りかけの巣箱を持って捕獲に向かう。巣のまわりをはげしく飛び回り,壮観である。近くの柿の木に集結した蜂球はいちだんと大きい。巣箱ひとつに収まりきらず,三回に分けてとりこむことになった。(動画)
やはり,今日も慌てて,手袋をゴム手袋でなく軍手で行ったところ,袖口からハチがはいり手首を三カ所刺された。
きのう一昨日と捕獲した群れは逃去した。果たして今日の群れは落ち着いてくれるだろうか。
4月12日(日)晴れ
山の友と恒例の花見。今回はS君の近くのお寺「法輪寺」に行った。桜は散り始めていたが,花びらが料理や飲み物にもちりばめられいちだんと情趣が加わった。
いつもの友の手の込んだ料理,お造り(鯛・蛸)・子ふぐの空揚げ・コノシロの酢漬け・ワケギと蛸のヌタ・蛸飯・鯛の潮汁と超豪華なものだった。
桜吹雪が見事だった(動画)。
4月11日(晴れ)
天気が続き日中は暑いくらい。
今日もハチたちに振り回された。新しい住み家がどうも気に入らないらしく巣箱を飛び出しては,柿の木やらアンズの木に蜂球を作り,次の住み家探す準備をしようとする。そうはさせまじと箱を持って追いかけた。アンズの木に登って回収した。
結局,新しい分封群とも併せて,三群を取り込んだ。とはいえすでに二群逃しているので,三勝二敗といったところか。
巣箱作りをもっとしなければならない。
4月9日(木)晴れ
近くに600本の桜の咲く公園がある。歩いて15分の所だから行かない手はない。
聖良寛が若いころ修行したお寺,円通寺にある。整備されて20年なので桜の木々も元気がいい。
公園に行く途中にあるため池ではウシガエルが鳴いていた。池の側の家の人によると,夜,カエルの牛のような鳴き声で眠れないと言っていた。
桃畑ではモモの花も盛りである。
公園の桜並木がとてもいい感じで満開だった。ついミツバチが訪花していないかと目をこらし羽音を聞く。お寺の本堂の桜にハチが訪れていた。家から九百メートルぐらいだから,わが家のハチかもしれない。
公園の中には句碑や歌碑がかなりあることを再認識した。種田山頭火も来たことがあるようだ。
4月7日(火)晴れ
昨日の巣箱から採り入れた塊にはやはり女王はいなかったと見え,朝,箱をのぞくと空っぽだった。
同じ巣箱が昼前から騒がしくなり,分封のはじまりの予兆として巣のまわりをおびただしい蜂がブンブンと飛び交いだした。カイヅカイブキの枝に蜂球を作り始めたので,ブラシと収容の巣箱を持って脚立に上がった。ここで失敗した。さっと蜂球を巣箱の中に払い落とせばよかったのだが,箱におびき寄せられるのではないかと思い,蜂球の上にかぶせるようにしたところ,見る間に蜂たちがちりぢりとなり,雲散霧消してしまった。相当あたりを探したが新たな蜂球は見つからなかった。とっても残念
気を取り直して蜂の巣箱を作った(6箱)。泥縄なので,鉢巻き式ではなく,ただ重ねるだけのものにした。
それでも本日うれしかったのは,もう一つの分封群が空いた巣箱に自ら入ってくれたことだ。ただこの巣箱,前の群れがスムシに食い荒らされ嫌気がさして逃去したものだから,まだスムシがいるはずである。早急に新しい巣箱と取り替える必要がある。
4月6日(月)晴れ
退職後,案の定だらだらと過ごしていたがそうとばかりはいかなくなった。
午前中,風もなくちょうどポン菓子日和と思い,ポン菓子機を回していると,どうも蜂の巣箱あたりがさわがしい。行ってみると巣のまわりに大きな蜂の塊ができている。それと分封に役立つと思われる板を取りつけているウバメガシの枝には正真正銘の蜂球ができているではないか。ポン菓子どころではない。面布をかぶり捕獲作戦に切り替えた。
蜂球のできていない巣箱の塊も捕らえることにした(渡辺氏に相談すると捕獲してみてはどうかと言われたので)。
二つの分封群を箱に収納したが果たして定着するかどうかである。女王がいなければ働き蜂の群れは出て行くだろう。今年の第一分封は早い(確か去年は4月の下旬ではなかったかしらん)。少ない経験ではあるが,第二第三分封群の方が定着率がいいと思うのだが。
とにかく,巣箱を作り足さないといけないのは確か。泥縄はいつものとおり
4月5日(日)晴れ
観劇鑑賞会の例会日。今日はミュージカル『HONK! 』(みにくいアヒルの子)を観た。終演後のロビー交流会に出席した。出演者がお疲れのところを,舞台化粧を急いで落とし,本来ならホテルへ帰られるのをわざわざロビーに出てきてくださるのだ。観客と直にお話ができるまたとない機会である。主演の岡まゆみさんほか5名の方から,舞台でのやりがいや役者になったきっかけなどのエピソードを聞くことができた。中でも,舞台衣装の一部の靴が重いという話から,ちゃんと上演権者からの注文のブランド製だからということも知った。交流会に参加することで芝居が10倍おもしろくなる(どっかできいたセリフ?)
3月31日(火)晴れ
岡山西川緑道公園の桜も2分咲きといったところ。花冷えのためかゆっくりと開いてる。それでも今日の陽気によってかなり加速されそうである。
職場への最後の日,桜並木の尽きるのを惜しみながら歩いた。
職場の方より花束をいただき感激した。
多くの方々の支えによって今日の日を迎えることができ,感謝に堪えない。
お世話になりました。
3月20日(金)曇り
彼岸の中日の朝は薄曇りで東風が吹き,海もおだやかだった。
高接ぎにしたスモモの芽が動き出したので,活着したと思う。
師匠の植えたそら豆にも花が咲き,春が本格的になった。
3月18日(水)晴れ
すっかり暖かくなり,コートを着ているのが気恥ずかしくなるくらいだった。西川緑道公園の白木蓮も一気に咲いた。この緑道公園も3月20日から開催される全国都市緑化おかやまフェアの協賛会場となっており,川縁にはたくさんの花壇が増設され,行き交う人の目を楽しませている。うすいピンクのコブシも咲いていた。サクラのつぼみもふくらんでおり,開花目前である。きっとミツバチたちの羽音も大きく聞こえてくることだろう。
2月21日(土)晴れのち曇り
午前中はポン菓子製造の練習をした。どうにか手順をのみ込めたが,釜を開放するタイミングが今ひとつである。ふくらみが均質でない。イベントデビューはまだまだか(nekomanga)。
午後,スモモの接ぎ木をおこなった。職場の方にいただいたマンチュリアンという大実の品種。サンタローザに接いだ。うまくいけば赤い実と黄色い実が1本の木に成るかもしれない。
2月11日(水)晴れ
何日も山の畑に行っていなかった。
すでに小梅の花が満開の状態である。徒長した枝の先にも花が咲き始めている。花を残しながら剪定をした。今年は梅の実が少ないかもしれない。
香りに誘われて,ミツバチもやって来た。
春がやって来た。
1月24日(土)晴れ
氷が張る大寒らしい寒さの1日だった。
午前9時,玉島文化センターの楽屋口は,川風が吹き込み震え上がりそう。
本日のマチネー『新裸の大将放浪記』(劇団「海流座」)のための荷下ろしに参加した。楽屋口に横付けされた大型トラックから大道具小道具が下ろされ,大勢の美術部員によって舞台を組み立てて,午後3時からの公演に間に合わせる。美術部員の指示に従い,駆け足で舞台の上手下手に舞台装置を運ぶと,しまいには汗をかくほどであった。俳優であり演出家の米倉斉加年さんが直々に楽屋口に出てこられ,参加者にごあいさつがあり,感激した。米倉さんは「”裸の大将”は,芦屋雁之助さんのライフワークのようなものだったが,弟小雁さんの”新大将”は真の換骨奪胎とも言うべきものでとてもすばらしい」とおっしゃっていた。
現に芦屋小雁の”大将”に観客全員が笑い転げ,第2幕では泣き笑いとなった。
劇団の次の公演先は松江市だそうだ。
1月11日(日)曇り
井原鉄道開通10周年を記念して,ワンコイン(1乗車につき100円)で乗車できると聞いたので吉備真備駅へ行った。駅前のイベント会場ではタケノコの産地にふさわしく若竹汁の振る舞いがあった。寒い朝,一杯のおつゆがしっかり体を温めてくれる。調子づいてぜんざいのお接待も受けた。次は西の井原駅に向かった。いつもはのんびりと田園の中の高架を走る列車は今日は満員。駅の人もザルを持ってコインを受け取るのに大忙しである。
井原駅では甘酒をいただいた。子ども神楽もやっていた。
きょうはイベントの出し物のリサーチも兼ねている。綿アメの出店はあったが,ポン菓子は見かけなかった。これは有望か(*^_^*)
ともあれ,乗りたいと思っていた井原鉄道に乗ることができた。どうもかなりの赤字路線なのでこういったイベントを機会に鉄道の良さを見直すきっかけになってほしいと思う。
1月4日(日)晴れ
村の辻に,おじさんがバイクに付けたリヤカーでやって来て,米を圧力釜で熱し,急に蓋をハンマーで開放(このとき大きな爆発音がする)してやる米菓子製造。手ですくってほおばり,ボリボリと香ばしくておいしい。わが地方ではパンと音がするからか「パンパン菓子」と言っている。地域によって[ポン菓子」「パンク菓子」「バクダン」「ポンポン菓子」といろいろ呼び名があるようだ。
ずっとあこがれていた,この機械を買った。卓上版の小さいのを。小さいとはいえ結構迫力がある。
年末から試運転をしているが今日で3回目。まだ均質なものができないがあれこれ試してみる。玄米,餅米,大豆など。味付けは砂糖をカラメル状にして絡める?このあんばいがむずかしい。
退職後は地域のイベントにこれを持参して,仲間に加えてもらおうと思っている。
1月2日(金)曇り
今年はクラス会の幹事なので少し早めに会場へ出かけた。
いつもの場所でいつもの時間に十数人が集まる。あたりまえであるがそろって還暦を迎え,中には悠々自適の生活に入っている友もいる。
高校時代のなつかしい話に花が咲くが,いつしか景気の話に行き着き,ため息の出るときもあった。
それでもみんなよくやった。これからも元気で集える幸せを感謝してお開きとした。
数人かはおなじみのスナックにくり出し,そこでも1960年代のヒットソングを歌い気炎を上げていたが,やはり年だ。終わり頃はかなり疲れていた。
1月1日(木)晴れときどき曇り
おだやかな正月である。元旦に雑煮をいただき,腹がふくれたところで腹ごなしのため,歩いてお寺とお宮に参った。
家々の小庭など眺めながら,めったに通らない小路をぬけて,まずはお寺まで歩いた。
お寺の境内は閑散としており,それでも墓参の人がちらほら見えた。林の梢からモズやメジロの鳴き声がしていた。
お寺から約2キロ離れた氏神様でもあるお宮は,初参りの人で結構にぎわっていた。