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2012(平成24年)
12月31日(月)晴れ
年越しそばを食べ,紅白歌合戦を見る。一年無事に過ごせたことに感謝
12月30日(日)雨
正月用の餅を作る。孫娘は杵を使う本当の餅つきを見たらしく,杵取りのようなことをしたいという。残念がら杵はなく,我が家では餅が回転している。それでも珍しがってくれ,ほっとした。丸餅なので餅を丸めるのを手伝ってくれた。あん餅も作った。
12月29日(土)晴れのち曇り
今年仕納めのぽん菓子。黒豆をたくさんもらったので豆菓子を多く作った。黒豆がはじけすぎないよう圧力を調整する。圧力計の目盛りにして0.65MPsといったところで火を止める。そして素早く木槌で打って釜のふたを開放する。yoshikoさんの砂糖のまぶし具合も堂に入ってきた。機械が小さいのでできあがる回転も速いが,まぶす糖蜜もできに合わせてすばやく作るため結構いそがしい。どうもご苦労様でした。
ビニールハウスの中のアイコが寒さに耐えてかろうじて成っている。
12月28日(金)雨
今年も3日を残すだけとなり,正月用の米を精米したり,神棚の若松を変えたりとものぐさながらも気ぜわしい一日だった。写真は竈の神様,「おどっくう様」という。今は竈がないので冷蔵庫の上に祭っている。
しかし猫どもはのんきなものだ。掃除機を回しているときだけどこかに隠れているが,それがすむとすぐストーブの前に陣取ってしらんぷりん
12月23日(日)曇り
老人会で荒神様の掃除とお飾りの交換をした。社の屋根に積もっている落ち葉も掃き下ろす。
今年は,しめ縄作りのベテランがいて,できばえは上々。
この一年を感謝して祝詞をあげ,ぜんざいを食べ,みんなで記念撮影。
12月19.20日(水.木)真庭市は氷雨
山の仲間と温泉地での忘年会。真賀温泉という小さいが泉質がとてもよいといわれている古い温泉郷で,かつて旅館だった一室を借り切っての宴会だった。倉敷を昼頃出発して午後4時真庭市にあるこの旅館に着いた。しゃぶしゃぶの準備をしてから,まず旅館のすぐ上にある真賀温泉に入る。39.5度Cの熱くもなくぬるくもないとてもゆったりとできる温泉である。PHは9.8とあるからかなりアルカリ度が高い。ぬるぬるとする感じがとても肌にいいらしい。ゆっくりとぬくもってからいつもながらS氏が用意してくれた鍋をみんなで囲む。手作りの付き出しもあり,鱈の白子,しめ鯖は絶品だった(うっかり写真をとっていない)。めったに食べられない牛肉のしゃぶしゃぶ。思いっきり食べた(これも写真を撮るのを忘れた)。
外は氷点下の寒さだがこたつがあり,うつらうつらと宿泊忘年会の夜は更けてゆく。
朝は昨日の鍋を使っての雑炊。これもうまかった。
帰路は,同じ市内にある,旧遷喬尋常小学校校舎の見学に寄った。ボランティアの方が親切に案内してくれた。明治時代のものだがその意匠はルネッサンス風で当時もハイカラな建物で町の名所であったろうと思う。
次は一年中桜の花が見られるという普門寺を訪れた。なるほど枝には地味ではあるが桜の花が咲いており,ちょうど日差しもあり春の陽気を感じた。
時間はたっぷりとあるわれわれ。高梁市で手打ちそばを食べてもまだまだ日は高い。まだ家に帰りたくないという。
仕方がないのでカラオケハウスに寄り,それぞれの十八番を歌ってやっと参会した。
12月10日(月)晴れ
この冬一番の寒さと感じた。駐車場とトイレの清掃日で7時過ぎに作業に行ったからだろう。池には氷が張っていた。耳が痛く感じ,軍手では防寒にならないくらいの冷たさだった。
ツゲを刈り込む作業をしていたらだんだんと体が温もってきた。作業を終える頃は日も射しはじめ穏やかな日よりとなった。
ネットのニュースで小沢昭一さんがなくなられたことを知る。小沢さんと直接お話をしたのが14年前。井上ひさし作『唐来参和』の公演でインタビューさせていただいたことがある。。とても気さくな方だった。失礼と思いメモだけとっていると「録音機などは使わないの?」とおっしゃり,今思えば録音させてもらっておけばよかった。
また偉大な俳優,そして昔の芸能文化を発掘した学者がいなくなった。
12月6日(木)晴れ
冷たい風が吹くなか,船穂にある宝満寺で行われた成道会法要に行った。寺総代の方からのお誘いだが今年で2回目のお参り。本堂前で甘酒のお接待があり,ショウガがきいて体が温まった。成道会はお釈迦様が悟りを開いた日という。このことを知ったのは昨年お誘いを受けた時だから,なんとも恥ずかしい。法要は地域の仏教会が持ち回りで行っており,堂内は檀信徒でいっぱいだった。法話が午前午後とあり,その間にご詠歌の奉納があり,いちにち仏教の世界に浸った。
12月5日(水)曇り
早12月も5日が過ぎようとしている。霜が毎日降りるようになったが,10月中旬に蒔いたタマネギの小さい苗を植えた。カボチャを片付けて植える場所を確保したが,比較的日当たりが良いので間に合ったと思う。酸度調整もケイカルを撒いてすぐ作付けという,いつものやっつけ仕事だ。
カブができた。形はいい。昆布とユズの皮を入れた酢漬けがおいしい。
ラップでくるんだほだ木からナメコが生えた。
11月30日(金)曇り
エンドウの種をやっと蒔いた。急に寒気がやってきて芽が出るかどうか?防寒もかねてペットボトルをかぶせた。これで鳩もほじくらないだろう。
万次郎カボチャを収穫。大きいのは5キロある。
皇帝ダリアが霜にやられて痛々しい。
11月29日(木)晴れ午後から曇り
昨日は寒かった。畑の水道のそばのバケツに薄氷がはっていた。
昨日まで青々と元気だった万次郎カボチャの蕗のような大きな葉がグンニャリと熱湯をかけたようにしおれている。午後には葉の色が褐色に変わった。ジャガイモの葉も同様である。あのヒッツキムシのセンダングサも煮えたようになり,すこし哀れに見えた。
11月にこのような霜害は初めてのように思う。去年の万次郎は12月初旬まで健在だった。葉がだめになったので,成ったカボチャの数を数えやすい。ざっと40個ぐらい成っているようである。
明日から少しずつ収穫しようと思う。
11月26日(月)午前中雨
学校支援ボランティアにもお誘いがあり,小学校の観劇会に行った。主に全国の小学校を巡演している「劇団野ばら」による『あした,あさって,しあさって』
子どもたちは良く笑い,俳優の仕草に良く反応し,とても良かった。
11月24日(土)雨のち曇り
西国屋ホールという昔の廻船問屋の蔵をイベント用に使っており,そこで備中神楽とジャンベのコラボレーションがあった。ちびっこ神楽師凌太君とジャンベ奏者マムドゥジャバテとはNHKの番組ですでに共演済み。異質の文化がぴったりと合っている。ジャンベは予定時間を過ぎるくらい敲かれ,アフリカンビートが蔵の中に満ちあふれた。
11月22日(木)晴れ
母校(小学校)において,先生の研究発表会があった。その撮影班として支援依頼があり,友人と参加した。県内外より来られ,児童と同数ぐらいの先生先生・・・であふれていた。素人の目だが授業をされたどの先生も深く研究されており,子どもたちにしっかりと教えて考えさせる授業を展開していた。授業もパソコン,大型テレビ,書画カメラを駆使して立体的である。先生たちも父兄の授業参観以上に緊張されたことだろう。
併せて分科会においては学校支援ボランティアの活動発表もあり,他校の先生からも大いに注目されていた。
11月20日(火)晴れ
昨日は友がヒラタケと椎茸を持参してくれ,夜はキノコ鍋をした。椎茸は焼いても食べた。どちらも山から切り出したほだ木に植菌して生やしたものだから香りもよく歯ごたえがありうまかった。
我が家のキクラゲとナメコも生える頃と思う。
緑竹が青々としているがそろそろ防寒を施してやらねばならない。南方産なので寒さに弱いらしい。株の周りをモミガラで囲う予定。
サツマイモの残りを掘った。苗を挿したのが6月の終わりだったので芋は細長いものばかりだった。
愛宕柿は小さなものばかりなので,またもや柿酢に仕込んだ。
そびえ立つ皇帝ダリヤが咲き始めた。霜が降りるとあっという間にしおれるのに何で寒くなってから咲くのだろう。
11月16日(金)快晴
外は小春日和の陽気なのに猫はストーブの前にかじりついている。真冬になったらどうするんだ。
明日は雨という予報もあり,タマネギの早生種を2通りほど植えた。ソラマメのポット苗も15本ほど
弟の畑からピーナツの堀上げたばかりの株が届いた。さっそく茹でピーナツにした。これが大好きで,食べ出したら止まらない。
11月12日(月)風が強いが晴れ
畑のひとつにカボチャ(万次郎)を植えているが,ここは乾燥がひどくカボチャのツルが伸びず,結局5個のみの収穫に終わった。なのでツルを片付け,タマネギを植える準備をした
マルチを張って植えるばかりになったが,風が強く,鼻水もとまらないので3時前に仕舞って帰った。
柿酢を作ろうと思い,瓶に柿を詰めているが,なんだかなーといった感じ。毎日かき混ぜているがうまく発酵と熟成ができるんかなー?。
万次郎の雌花は毎日のように咲くが,授粉用の雄花がない。
11月10日(土)晴れ
毎月10日は老人会が受託している円通寺公園駐車場とトイレの清掃日。朝7時に出かけた。今日はツゲの生け垣をトリマーで刈るのを手伝った。切りくずを片付けていたら石垣に沿って伸びるツルに小さい粒が見える。ヤマブドウである。このあたりでヤマブドウを見たのは久しぶりである。つまんで食べてみると甘い。山の荒廃でなくなっていたと思っていたからうれしい。
イチゴを植えた。
11月9日(金)晴れのち曇り
9月21日に蒔いたタマネギが大きくなったので本植えをした。品種は超極早生というもので4月に食べられるとのこと。薹立ちをするかもしれないがその前に収穫して葉タマネギとして食べてやる。葉タマネギは野菜食堂こやまの小山津希枝さんおすすめの春の一品である。重ね煮にするとタマネギの甘みだけで甘味料はいらない。そのためにも肥料を少なめにして甘いタマネギを作らねばなるまい。
今年は我が家では柿の当たり年かもしれない。愛宕柿がたくさん成ったが,型は小さい。ドライアイスで渋抜きをした。
パソコンのキーボードに生姜湯がかかり,キーが粘つき修理に出していたのが帰ってきた.高いものについた。パソコンを使うとき生姜湯は禁止だ。とにかくそばに何も置かないこと
11月5日(月)午前中雨
昨日はサツマイモを掘った。日照り続きで蔓が伸びておらず,出来はよくないだろうと思っていたが,案外芋は大きかった。味も良さそう。収穫できることに感謝
蔓を切る前にサツマイモの花の写真を撮った。安納芋の蔓には朝顔のような可憐な花がたくさん咲いている。
10月31日(水)寒く感じる朝
実りの秋。
椎茸は伸びすぎて団扇のように。万次郎カボチャは3.5キロ。安納芋はいい形。
柿は小さいので柿酢にしてみようと思うが果たしてできるだろうか。ガラス瓶と樽に仕込んでみた。
10月28日(日)雨のち曇り
第2回町内会文化祭が行われた。今年も力作がそろい,あらためて隠れた才能の持ち主の多いことにおどろいた。カレーライスの接待もあり,おいしくいただいた。
さらに盛り上がったのが,マムドゥジャバテ氏によるジャンベ演奏だった。アフリカ民族音楽の快いリズムに体を揺らして聴いた。
10月25日(木)晴れ
友人から大量にもらった籾殻をくん炭にした。これを様々に利用したい。培土に混ぜたり,タマネギの根元に撒いて雑草除けにしたりといろいろに使える。
タマネギの苗が大きくなった。
遅くに蒔いたほうれん草も少し大きくなった。
べたがけにした聖護院ダイコンも少し
10月22日(月)絶好の祭り日和
昨日は13万人の人出で賑わった備前焼祭りに行った。今年もK野さんに連れて行っていただき,短時間で最高の祭りを味わうことができた。また普段見ることができない作家さんの邸宅にも上がることができ,きれいな庭を背景に,名人の一品を鑑賞した。一緒に行った友人夫婦も喜んでいた。職場の後輩にもひさしぶりに会った。
10月18日(木)曇り
昨日は一日中雨だった。畑の畝4通りほど管理機で耕した。他の2畝はマルチを剥がすとほどよい状態だったので耕さず,ケイカルのみ散布して再びマルチで覆った。
耕起した畝と不耕起の畝にニンニクを植えて比較してみようと思う。福地ホワイト六片と普通のニンニクをそれぞれの畝に埋めた。
釣りをよくする友人より,釣りたてのサヨリをもらった。大きいものは刺身にして,ちょっと小ぶりは煮付けにして美味しくいただいた。11月中頃まで釣れるらしい。
10月14日(日)晴れ
孫娘と近くにある「みなと公園」へ。いろんな遊具があり子どもにとってはうれしいスポットだ。おもいっきり走れる。
中学の同級生のコンサートに行った。「チェロうた 歌うた ピアノうた」のとおり三つの音色がおりかさなった心地よい2時間だった。声という楽器をこの歳まで維持するのは並大抵のことではない。彼女のすごさに感動し尊敬する。クラスメイトも遠くから大勢きていた。
10月13日(土)晴れ
友人の田んぼの溝に絶滅に瀕した植物を発見。発見はもちろん友人。最近の新聞記事に気づいた友人はその生息地を管理している所へ電話した。「うちにもよく似たのがあるでー」といったところか。さっそく市職員がきて検分したところ,「正真正銘のミズアオイです」とのこと。倉敷市の認定されたものよりかなり大きいらしい。
さっそく行ってみた。可憐で美しい。よくぞ見つけたものだ。
10月12日(金)晴れ
秋祭りの日に生まれた。師匠(母)が祭りのばら寿司の準備のためゴボウを削っていたら,兆候が始まったらしい。今日は母に感謝する日であろう。
以前の秋祭りは曜日に関係なく日にちによって定まっていたが,現在は10月の第二土曜日からとなっている。。
シカク豆がよくなっている。祭りの天ぷらにしてもらう。
夕方はくらしき作陽大学管弦楽団の定期演奏会に行った。ひさしぶりに文化の日だった。
10月11日(木)昨日夜中に雨,夕方雨
急に雨が降ったようで,朝の水やりはやらなくてよかった。
ダイコンは古い種だったのでやはり発芽率がよくない上に正常な芽が出なかった。丸い聖護院ダイコンに蒔き直した。
近所の方がお墓参りの帰りに,我がタマネギの芽を見て「いつ蒔かれたん?」といわれる。彼岸ごろ蒔いたと言ったら,「そりゃー早すぎるでー,ここら辺は祭りの今頃蒔かにゃー」。たしかにこの方は一昨年もそうアドバイスしてくださった。タマネギは播種時期と育苗期間とをしっかり守らなければ春に薹が立つ。早生種を蒔いたことを伝え納得していただいた。
ほうれん草の芽がやっと出てきた。
10月10日(水)晴れ
カラカラの日が続く。畑のダイコンなどに水をやって帰る途中,塀越しに甘いいいにおいがしてきた。キンモクセイだ。祭りが来る。虫の鳴くような耳鳴りがいつもしているが,祭りの太鼓が聞こえてくるように思うのもこのごろ。
「木犀のにおいとともに遠太鼓」
猫も祭りを心待ちにしている?
10月3日(水)晴れ
先日は久々のお湿りがあったので,遅ればせながらカブやダイコンを蒔いた。
山の畑に植えた緑竹も脇からの芽(タケノコ)がかなり伸びた。寒くなる前にじゅうぶん伸びてほしい。
気がつくとこのお湿りでキクラゲも伸びていた。ラップで巻いたほだ木からラップを押しのけて出ている。急いで芽が出そうな所へカッターで切れ目を入れた。
9月30日(日)台風の影響で雨
高校の同級生が備中神楽の太夫をし,育成会を主宰している。自宅に練習道場を作り後進(神楽師)の育成に励んでいる。今日はその道場の20周年記念公演があり,町内の神楽の見巧者に連れていってもらった。
彼は倉敷市においてチャリティー公演もよくするので,NPO法人から感謝状が贈られていた。
5歳から高校生までの若い踊り手が,備中神楽独特の所作で力強く舞う。舞うばかりではなく,太鼓をたたき声を出して音頭をとることもするので,まさにエンタテイナーである。6時間の長丁場を代わる代わる演じきった。
9月26日(水)蓼科高原は快晴
25日から信州は蓼科「横谷峡」にある温泉までバス旅行をした。老人会の楽しみのひとつ。バスは山陽自動車道,名神高速道と中央自動車道をひたすらに走る。走行距離は往復1000キロを超える。何の予備知識もなく,スマホのナビ機能を見ながら行く。それにしても運転手さんは大変である。会社と提携していると思われる土産物店や物産店にかなり遠回りになりながらも寄り道をして,温泉宿に連れて行ってくれる。宿に着くまですでにかなりの土産物がバスの荷物室に積み込まれたようである。御柱祭で有名な諏訪大社にも参詣した。
さすがに別荘地で有名な蓼科高原,空気はきれいで肌寒いくらいだった。付近を散策すればよいのだが長時間の乗車で温泉につかるのが精一杯。おきまりの宿の夕食会,そしてカラオケ。部屋での雑談。話題は町内のこと,政治のこと,話は尽きず夜は更けていく。しゃべり疲れた人から眠っていく。先に眠った人の朝は早い。その人らに誘われ朝風呂に行った。3時間ぐらいは寝ただろうか。それでも宿の朝ご飯はおいしい。
バスは中央アルプスと南アルプスの谷間を通ってはるばるやってきたのである。翌日は温泉宿を出発して,霧ヶ峰高原へ。ガイドさんの案内で八ヶ岳の向こうに富士山が見えた。カメラを右に動かすと遠くに北アルプスも見える。槍ケ岳と穂高岳も見えたはず?ほんとうに大パノラマであった。
行きも帰りも天候に恵まれ,長い行程だったがいい思い出となった。
9月21日(金)晴れ
涼しくなったので,昨夕,タマネギの種を蒔く準備をしたが,この時季,畑では蚊の襲来がすさまじい。電池で動く蚊取り機を腰にぶら下げてもあまり役に立たず,必死で刺してくる。
日もかなり短くなった。もう我慢ができず「ひゃーくれるし,みゃーみえんし,かーくうし,こどまーなくし,もーいのーいのー」(日は暮れるし,暗くなり視界が悪くなり,蚊がつきまとうので,子どもはぐずって泣くので(子どもはいない),もう帰ろう帰ろう)というところで逃げ帰ってきた。
今年の春,友人からの誘いで緑竹なるものを取り寄せ植えている。
『現代農業』にも掲載されており,孟宗竹のように地下茎が伸びて広がるものではなく,株立ちでふえるという。しかもタケノコは6月から9月ごろまで生える。
味もいいというので取り寄せてみた。たしかに茹でなくてもいきなり煮物とか天ぷらで食べられ,うまかった。
もともと南方系らしく,冬の寒さに弱いらしい。冬は防寒が必要のようである。
9月19日(水)空の青さが濃い
部屋を吹き抜ける風も涼しくて気持ちがいい。
彼岸の入りにふさわしい彼岸花が,畑の塀のそばに咲いていた。このあたりではいちばんに咲いたと思う。
これからたくさんなり始めるシカク豆。エンドウ豆のように,ゆでても天ぷらにしてもおいしい。昨年から作っている。青いものが少ないこの時季重宝する。
一昨日は孫娘より,敬老の日のプレゼントとして額に入った写真集が送られてきた。
9月16日(日)台風の影響で風と雨が強い
待望の雨はありがたいが風も強くなった。
昨日はアートの島で話題となっている直島に行った。暑いが青い空と波の静かな海は秋を感じた。
宇野港からフェリーで20分の所。車で走っても30分で一周できる小さな島で,かつては銅などの製錬のため禿げ山と化していたが,再生により緑豊かな島となっている。そこへ景観を損なわないよう配慮したと思う地中美術館などが作られている。地中美術館はほんとうに外からは何も建物が見えず,その常識外れにおどろいた。
安藤忠雄氏によるものであるから建物自体がアートである。コンクリートの打ちっ放しだが,全く冷たさや堅さを感じさせずほっとする空間だった。代表的な収蔵品はやはりクロード・モネの睡蓮5作品。圧倒的な存在感があった。ほかの現代アートもスケールが大きく,ゆったりした建物にふさわしいものであった。天井が抜けており,空が作品の一部となるものがあり,この日は青い空だったが,雨の日はどんな作品となるのだろうと想像する。
「家プロジェクト」という古い家屋を改修して,その家を含めてアートとした町並みがある。
帰りのフェリー乗り場では巨大なカボチャを見つけた。
なすびやカボチャが復活し,よく採れるようになった。
9月11日(火)未明に畑に水道水をまいた程度の雨
ほんのちょっとのお湿りだった。
ナスやキュウリがシャキッとする程度降ってほしかった。体もシャキッととはほど遠く一日ごろごろぶらぶらするだけ
ごろごろしながら読んでいた『市民皆農−食と農のこれまで・これから−』山下惣一,中島 正 著(創森社)という本。思わず正座して読み直した。交渉参加してしまったTTPによって,食料自給率が14パーセントになっても,この著者お二人について行けば何とかなるのではと思うようになった。自分と家族が食べられるだけのものを鍬1本だけ使ってやっていけばいいということだ。縄文時代が1万年続いたのも貧しく小農だったからという。
あしたはゴマを刈った後のマルチをそのままにしているので,そこへ耕さず穴だけを掘ってジャガイモを埋めることにする。
シカク豆の花も咲きだした。
万次郎カボチャで作ったプリンを食べた。
9月8日(土)からっきし降らない
朝晩畑に水やりをするがキュウリが1本ずつ枯れていく。サツマイモのつるはぜんぜん伸びない。
それでもゴマは強く,元気に育った。師匠はこれを辛抱強く,採り入れ選別にいそしんでいる。
香ばしい新ゴマがやがて食べれそう
カーポート下のブドウ「安芸クイーン」が甘くなった。糖度は20.4
9月7日(金)よそは降っても玉島だけは降らない
ちょっと油断すると十日が過ぎようとしている。
蜂がいなくなったので毎朝カボチャ(万次郎南瓜)の人工授粉をしている。また授粉用の雄花が少なくなったのはカラカラ天気だからであろう。
受粉できたものは実が大きくなっている。
スマホデビューしたことになるのだろうか。OCNのモバイルデータ通信を申し込んだらスマホが付いてきた。音声通話はできない。この端末がルータとして機能するから,PC同好会用として使うつもり(同時に5台のPCがインターネットにつながる)。
しかし,ちょっとした検索ならわざわざパソコンを経由しなくてもこのスマホから見えるではないかとも思う。
8月30日(木)雨が降らず今夏最高の暑さだったよう
一降りほしいが全く気配がない。
職場で一緒だった人の工房を訪ねた。今は備前焼を作っておられる。何事にも積極的で好奇心旺盛なひとだ。
今日は最新のタブレット端末を見せていただいた。タッチパネルの操作が心地よい。地図などは親指と人差し指でつまむようにしたり広げたりすると,即座に縮小や拡大画面になる。画面もクリアでとてもきれいだった。
また,ブログでしか知らなかった人を工房にてお目にかかることができ,奇遇であった。
8月25日(土)東京も残暑が厳しい
同窓会が東京で行われ,出席した。同窓生の年齢に幅があり,今回を一区切りとして定期的には行われないことになった。それでも閉会を惜しむ声があり,次は神戸でという話も出た。
この同窓会の前に芝居を見ることができ,今回個人的にはとてもいい思い出となった。小沢昭一さんが初演で演じた『芭蕉通夜船』を見た。14年前小沢昭一さんをインタビューしたときから気になっていた芝居である。この度は坂東三津五郎さんによる芭蕉だった。板東さん,ずっと井上芝居にあこがれておられたそうで,今回出演がかなったといわれていた。一人芝居であるから,90分しゃべりっぱなしだった。芭蕉の一代記だが,俳句の改革者として生涯ひとりで苦しみ戦ったことが,この芝居を見てわかった。
公演場所は新宿紀伊國屋書店の7階のシアターだったが,デパートと空中の渡り廊下でつながっていたことがあとでわかった。
8月23日(木)薄曇りだが残暑が厳しい
はじめての地蔵盆の当番。いちおう生え抜きなので,様子がわからないまま仕切ってしまった。
子どものころのお地蔵様はにぎやかだった。地蔵盆は子どものためとされていたようで,できていない夏休みの宿題を気にしながらも楽しみであった。
宵の地蔵盆は部落うちのもので,翌日は各部落を回ってよそのお地蔵様で接待を受ける。子ども同士どこそこのお菓子がよかったとか評価しあって楽しんだものである。
今は子どもがやってこない。相当のお菓子を用意したがだめだった。仕方がないのでお地蔵様前で当番同士茶話会もどきをして散会した。
8月19日(日)晴れ
ブドウの棚の下で,ゴマの葉を落とし乾燥させる準備をしている。
シャボン玉をする孫娘
花火を楽しむ
8月16日(木)気温35度の暑さ
この地方の送り火は昨日15日だったようだ。
京都五山の送り火は16日だから,今日でもいいのではと思うが,近所の人は「なんともいい加減な家」」とあきれていた。
猫もあきれているのだろうか。
ゴマを少し刈った。
8月15日(水)晴れ
終戦記念日の今日,テレビでも様々な行事や記念番組が放送されていた。
高校野球は岡山県チームが一勝した。
タマネギの分蘖した小さい球をマルチに植えた。秋には大きくなると思う。
赤皮甘栗カボチャとナタマメ
8月14日(火)明け方にかなりの雨
近畿地方では洪水被害が出ているが,岡山はおかげさまでそれほどではなかった。堅かった畑の土も少し柔らかくなった。
昨日は師匠もすっかり忘れていたらしく,慌てて迎え火をたいた。我が家では迎え火をたく近くに「水棚」というものをしつらえ,ここにもお供えをして餓鬼仏の供養をする。
今年は地蔵盆の当番となっているので,その準備をすることになっている。子供の頃はこの日が楽しみながらも複雑な思いで待っていたことを思い出す。
お地蔵様は子どものためともいわれ,朝早く各町内を回ってお接待のお菓子をもらう。これが楽しみでもありながら、長い夏休みも終盤となり,頭の中に宿題のことがつきまとう頃であった。
子どもが少なくなり,宵のお祭りだけで,翌日のお接待もなくなりちょっとさみしい。
8月12日(日)降りそうで降らない
7月に蒔いたニンジンの芽が出ないので蒔き直した。毎日水をやったつもりだがだめだった。
雨が降る予報なので,もう一畝プラスした。
万次郎カボチャの第一号。カボチャのコロッケがおいしい。
8月11日(土)少しの雨
朝晩畑にかん水しているが,今朝の空は曇っており,ホースをつないで放水しかけたらパラパラと降ってきた。これはありがたいと思いホースをしまったら止んでしまう。結局,トマトの屋根の下などには水をやって帰ってきた。
ゴマとカボチャの花にミツバチがやってきた。受粉の助っ人としてありがたい。あとは万次郎カボチャのつるがよく伸びて、雌花をたくさんつけてほしい。
タマゴウリやキュウリのために,雨がもう少しほしい。
お盆の墓参りの人がやってくるようになった。
8月9日(木)晴れ
カーポートの屋根の下に,ぶら下げるように枝を這わせているブドウ「安芸クイーン」が少し色を付け始めた。最近は鮮やかなルビー色にはならないが甘さは結構ある。
ちょうど盆頃には食べられるんじゃないのかなーと下からのぞいてみる。
猫もブドウとイチジクが熟れてくるのを心待ちにしている?
8月7日(火)晴れ午後打ち水程度の雨
「立秋」というが,まだまだ暑さのピークが来そうである。それでも秋という文字に救われる気もする。
秋の穫り入れのために,いま蒔いたり植えたりしなければならないが、本当にこの暑さにたえて芽が出るのだろうか。
保管していたタマネギの芽が出たものを植えていたら,分けつしてピンポン球くらいになったので、これをラッキョウやワケギのように植えてみようと思う。秋には大きくなるという。
8月6日(月)晴れ
何とかページをアップすることができた。
師匠(母)はもはや畑に出かけることはないが,遠回しに指示がある。「ゴマをもう刈る時期ではないのか」「タマゴウリがもう食べられるんじゃないのか」とか,ひとりごとが聞こえてくる。
朝晩,灌水しているが全然間に合わない。トマトのつるが黄色くなったり,カボチャの葉がしおれている。
タマゴウリと言っているが,マクワウリの一種で,味がよいので毎年作る。
秋口に食べれると思い,地這いキュウリをネット仕立てにしてみた。
シカク豆も少しネットに上り始めた。
花火の季節である。先週は友人の実家で行われた「成羽愛宕花火大会」に行き,打ち上げ場所のすぐそばで大迫力の花火を見た。
昨日はわが町玉島の花火大会だった。歩いて15分の所,橋の西詰めで打ち上げを待った。成羽でご一緒した夫婦に出会い,「お互い花火が好きじゃなー」と大笑い
8月5日(日)猛暑
自分でもあきれるぐらい更新が止まり8ヶ月も過ぎてしまった。自身もページを開けなかったので、更新の方法も忘れてしまい,もう汗だくだく
なにか写真を貼り付け,ほんとうにアップできるかテストから始めなければならない。何とも情けない限りである。
畑仕事も細々やってきました。
今年は雨が少なく作物も悲鳴をあげている。
テストパターンとして夏ばての猫の様子を