芝居について前に書いたもの

      観劇の楽しみ
 芝居らしい芝居を見たのは井上ひさし作『闇に咲く花』だった。それまでは戯曲を読むか,テレビの劇場中継でしか芝居を知らなかったように思う。
 街角で目にしたポスターに引かれて申し込んだ。演劇鑑賞会というもので,サークルを作って仲間で見るという形態である。はじめはよそのサークルに混ぜてもらった。

 この芝居は,野球人たちの戦争を描いたもので井上ひさし昭和庶民伝三部作のひとつである。多くのプロ野球選手,六大学野球選手が戦場に露と消えたことをこの芝居で知った。
 以来12年,家族と友だちを巻き込み,年に5,6本ぐらいのペースでただ受動的にいろんな芝居を見てきた。劇団「こまつ座」をもじって「こまつ会」というサークル名にした。芝居の見巧者というものではけっしてない。ただ楽しみというだけである。それでもいろいろな楽しみ方がある。

 そのひとつは,舞台装置のでき方を見ることである。各地の演劇鑑賞会のために旅公演をするのだから,装置も組立式でないといけない。その装置を公演先のホールに組み立てて,一回だけの芝居なら終わると直ちにばらす。舞台スタッフの人数も限られるので,サークルのメンバーに声がかかり手伝うことになる。始まりを「荷下ろし」という。大型トラックの中にまるで立体的なパズルのように大道具,小道具が詰まっている。これを舞台のできるだけ近いところへ横付けにし,手渡しでおろしていく。すべて劇団の演出部員の指示で舞台の上手(客席から向かって右側)下手へ正確におろされていく。釘袋を腰につけた雪駄履きの演出部員がもう組み立てにかかっている。てきぱきと階段付きの応接間といったものがみるみるうちにできあがっていく。
 「消えもの」といって,芝居のなかで食べたり飲んだりするものも買いにやらされる。いつかはキャビアとして使うとんぶり(ほうき草の種で陸のキャビアともいわれている)をさがしまわったことがある。だからこれらを見ておくと芝居がいっそうおもしろくなる。

 二つ目も同じようなこと。芝居が終えると,すぐ舞台はばらしに入る。このときも召集がかかる。「荷揚げ」という。さっきまでの舞台装置が,「荷下ろし」の前にあったと同じようにトラックの中へピッチリとはめ込まれる。まだ芝居の余韻があり,これが栗原小巻さんの座っていたイスかしらん,と思いながら運んでいく。楽屋へ来てくださいといわれ,上月晃さんの衣装箱を運び出す。これなどはもうミーハー族そのものだ。

 三つ目は,役者さんとの交流会。ケーキとお茶だけですることもあれば,居酒屋ですることもある。一度,山下惣一原作『ひこばえの歌』を芝居に仕立てた『遺産ラプソディー』を演じた劇団の人と話してみたくなり参加した。農村の後継者を脅かす,均分相続制がテーマ。この芝居は全国で好評を得たそうだ。役者さんも,じかに観客の反応が聞けるのも交流会だといっていた。

 まだまだ芝居の楽しみ方はありそうだ。一緒に見始めた配偶者などは大学芋やママカリずしを作って楽屋へ持っていき,手ぬぐいをもらったと舞い上がっていた。また機関誌のためのインタビューといって,ひとり芝居『唐来参和』を演じた小沢昭一さんにお会いしたこともある。これは演劇鑑賞会がもたらしてくれた大きなプラスアルファとひそかに思っている。

 芝居は,役者と観客とによって作られるという。これからもできるだけわが町にやってくる役者の観客となって,いろんな楽しみ方を見つけていきたい。

                                                                             池原一郎

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