鈴木光枝さんを御案内したときのこと
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 あの鈴木光枝さんに間近にお会いしたのは,劇場でではない。職場での昼休憩のとき,Kさんと西川の市立図書館にCDを借りに行った帰りである。それもKさんが図書館に二人連れで入ってくる人を見て,「いまのは鈴木光枝さんじゃーなかった?」と言ってからだ。「そうじゃ鈴木さんじゃが」と二人で図書館に引き返し確かめた。それにしては足下が悪かった。麦わら帽子をかぶり,もう一人の女性に腕をとられて図書館にやっとたどり着いたという感じだった。夏だったからだろうか。

 鈴木さんがどうして岡山にいるのだろうと思うだけで,その日は過ぎた。

 鈴木さんらが手がけた朗読劇「この子たちの夏」の倉敷公演があり,それにちなんで,玉島の演劇鑑賞会でお話を聞こうということになった。
 玉島の西爽亭(柚木家旧宅)にお出でいただくことになり,その迎えを私たち夫婦がすることになった。そこで合点がいったのである。岡山健康学院という西式健康法の治療院で鈴木さんが治療を受けているのだった。図書館とその治療院はすぐ近くだった。

 私たちは岡山まで車で鈴木さんをお迎えに行った。当日の鈴木さんは黒いしゃれた服を召して,背筋もしゃきっとしておられ,もちろん化粧もされていた。さすが大女優と思った。私が助手席に乗り,妻が運転した。鈴木さんはさっそく後部座席で,秘書兼身の回りのお世話係の女性と,今日お話しいただく内容について打合せをされていた。玉島までの車中は緊張の40分だった。それまで西式健康法というものを知らなかった。娘さんの佐々木愛さんのすすめでこちらへ療養に来たと言われる。「食事療法の食事だからまずいんですよ」「散歩も日課です」決まったものしか食べたり飲んだりすることができないようだ。

 西爽亭では30人くらいの会員を前にして,劇団創設のときから今日の文化座にいたるまでをていねいにお話してくださった。ご主人とのご苦労のこと。慰問で大陸に渡り,そこで終戦をむかえたこと等々。
 さらに,かつて朗読劇として公演された『あの人は帰ってこなかった』(岩波新書)の一節を読んでくださった。東北の戦争未亡人の生きてきた道の記録である。

 岡山までお見送りする車の中でも私たちにずっと話をしてくださった。「『あの人は帰ってこなかった』を歌曲にもしたんですよ。でも曲を付けると,どうも方言がうまく伝わらないようでした」とおっしゃっていた。秋から演劇活動を再開されるという。

 わたしたち夫婦のために80分別にご講演いただいたような,平成11年の夏のとてもうれしかった思い出である。

 今日,くらしき作陽大学公開講座の帰り,同大学の図書館で『あの人は帰ってこなかった』を見つけたときは驚いた。絶版だったから,まさか読めるとは思わなかった。さっそく借りて読むことにした。

 先日は佐々木愛さん主演の「ほにほに,おなご医者(せんせい)」を観たばかりである。
(2001.6.2)