12月23日(金)晴れ
年の瀬も押し迫り,老人会の行事も今年最後となった。今年の春から老人会の行事に参加するようになった。わが家の上に荒神様があり,この境内や社の掃除を老人会の有志が行っている。宮下に住み,すでに有資格者であるので参加した次第。老人会では最年少である。上には長老ともいうべき92歳の会員もおられ,かくしゃくと活動されている。今日は屋根の落ち葉を掃きおろすなど一通りの清掃を終えるとしめ縄作りをした。神社のものだから藁をかなり使いボリュームのあるものを作る。だが今年はベテランの二人が欠席なので,縄ないの経験のない者がすることになりかなり手間取った。それでもベテランの指導よろしく何とかかたちになった。できあがったものに御幣を付け社の入り口に掲げ,迎春の準備はできた。全員で祝詞をあげ年末の行事を終えた。
夜にはクリスマスのイルミネーションの元祖というべきクラレ玉島の大ツリーを見物した。今年も凝った作りで大勢の客で賑わっていた。
11月27日(日)晴れ
今日は町内会初の文化祭が開かれた。同じ町内でも世代を越えての交流が少ないので趣味のものなどを持ち込んで親睦を深めよう,という町内会長の提案からその運びとなった。本当に多彩な作品が集まった。絵手紙,水墨画,書,手芸品,工芸品,盆栽などなど。公会堂の1階が作品で埋め尽くされ,隠れた才能の持ち主と趣味人の多いのに驚く。
外では野菜持ち寄り具だくさんの豚汁とおにぎりが振る舞われこちらも賑わった。
yoshikoさんはお得意の編み物で参加したが,作品がないのでポン菓子機とロケットストーブを持ち込み,来場者の気を引こうと結構自分なりにがんばった。おかげでどちらも好評だった。
来年はさらに発展した催しが開かれそうである。
11月14日(月)大三島は晴れ
昨日から,しまなみ海道の大きな橋を3つ渡って大三島の友人宅へ行った。主な目的はタマネギ大使。6種類の苗を持ってはせ参じたというところだがこちらの勝手な思いである。畑は永田農法にはうってつけの礫がごろごろ混じる木目の粗い土。畝ができていたので珪酸カルシウムをぱらぱらと振り,液肥で土を湿らせ,穴あきマルチを張りさっそく苗を植えた。早生,中手,晩生と合計約200本。温暖な地域だから,わが家より早く育つと思う。
畑仕事の後は温浴施設「マーレ・グラッシア大三島」の大浴場で汗を流した。
大三島はミカンの産地でもあり,道の駅で作り手を選んで買い求めた。友人のお薦めの生産者で,毎年おいしいものを作られるという。
11月12日(土)晴れ
50年ぐらい前だがわが港町は子どもの目からしてもまだまだ賑わっていたと思う。年の暮れにある誓文払いは大勢の人出で商店街も活気があった。今は仕舞た屋ばかりでかなりさびしい状態になっている。その町をふたたびよみがえらせようと若い商店主などが奮闘している。
その一環として「玉島みんなと国際芸術彩」が開かれた。アートと音楽と食をテーマに5日間。通町という玉島ではメインストリートで行われるイベントの数々。音楽はアフリカパーカッションのジャンベ,長唄三味線,ちくわ笛など多彩だった。今日はその締めくくりであるギターとバイオリンのデュオ「ジュスカ・グランペール」のコンサートを聴いた。商店街の通路にしつらえた舞台と客席は,巧みな演奏と軽妙なトークにより,観客も手拍子でこたえて大いに楽しんだ。
往事の賑わいを取り戻してほしい。
11月3日(曇り)
11月でも汗ばむ気温で,9月22日に種を蒔いたタマネギの苗がやや徒長気味。早生種のものを少しばかり定植した。いつものマルチ植えにし,燻炭も施した。きっとかなり薹立ちするだろうが,葉タマネギとして食べられるだろう。
続いて中手,晩生の植え場所を用意しなければならない。タマネギ大使も予定が早まりそう
ニンジンとショウガを収穫
高くそびえる皇帝ダリアも咲き出した。
10月28日(金)晴れ
先日二人のO氏からもらったペール缶を使って,近所のO君とロケットストーブを作った。
これはテレビでも紹介されたもので,燃焼効率がすごい。熱効率が高くわずかな再生可能エネルギー(木ぎれ又は竹ぎれ)で調理ができるというすぐれもの(ガスも電気もいらない)。
ペール缶に穴を開ける工作はほとんどO君による。だから見栄えのいいものができた。バームキュライトを断熱材として詰め,ストーブは二つ完成したのでそれぞれで燃焼実験をすることにした。
煙も出ないので屋内でも使える。焼き芋や豚汁なども作れそう
10月24日(月)曇り
テレビで今日は「霜降」という日にあたると言っていたが,とても蒸し暑く感じた。
アッケシソウをもう一度見に行った。先日は裏口から入ったので今日は正面から。駐車場には県外からの車もあった。
群生地までに行く途中で,草むらにおもしろいものを見つけた。バッタが3段になっている。頭の細長いオンブバッタがオンブしているのはよく見るが,トノサマバッタがそれも子?と孫?を背負っているのは初めて見る。不思議だった。もっとよく観察していい角度から写真を撮るべきだった。
干拓地を囲む堤防の外は干潟で,白鷺が足を使って巧みに獲物を探していた。
10月21日(金)晴れ
アッケシソウというめずらしい植物が隣町にあることをテレビで知り,出かけた。浅口市寄島町の干拓地にあり,群生している。アッケシソウは北海道の厚岸町で見つかったのでその名がついたという。絶滅危惧種にランクされている。
アッケシソウを守る会の人からパンフレットをもらい群生地を見渡せる場所に行った。葦などをボランティアの人によって刈り取られ群生地が守られているとのこと。
別名サンゴソウともいわれ,形がサンゴにそっくりだ。今がちょうど紅葉の時で,最後は茶色となって枯れるらしい。種子はタマネギのものに似ているとガイドの方が言っていた。
10月16日(日)晴れ
備前焼まつりへのお誘いがあり連れて行っていただいた。秋晴れの下,祭は大勢の客で賑わって,知り合いの出店でもよく売れていた。斬新な意匠のものがあり,若い人が多く買い求めていた。
ふだん一人ではとうてい行けない作家さんの家に上がることができ,床の間に飾られている茶碗や花器も直に触れることができるのも,この祭ならこそと思う。またギャラリーに備前焼と一緒に展示されている絵画も著名な作家のものが平然とあり,その価格に二度びっくりする。
目の保養をさせていただいた一日だった。
10月14日(金)雨
久々の雨。長靴を履いて傘をさして畑に行ってみる。今日は水やりがいらないのでゆっくりとしゃがんでタマネギの苗などをながめた。三回に分けて蒔いたタマネギが芽を吹いていた。永田農法の創始者永田照喜治さんの言葉が浮かぶ。「無機質だった一粒の種から,土をかき分け,芽をだす姿に生命の息吹を感じて私はいつも感動します 『極上野菜をベランダで作る」(光文社文庫)」。
一雨一雨秋が深まってくるのだろう。寒さを感じて家に戻った。
エアーポテトといって,空中に赤ん坊のこぶし大のムカゴができる。長芋のようにおろしてトロロで食べられるという。
それと今たくさんできているシカクマメ。沖縄でよく食べられるそうである。天ぷらにしてもおいしい。
10月12日(水)晴れ
すっかり季節は夏から秋。怠惰な日々を過ごしているので,師匠からも見放され,畑の作物もろくなものがない。
それでもタマネギの種だけは蒔いた。早生と晩生を4種類ばかり。11月中旬には定植できると思う。今年も何カ所かはタマネギ大使に行くつもりである。
今日も友の畑にタマネギを蒔き,一くさり講釈をぶってきた。
春からカボチャをあちこちに植えた。万次郎カボチャというちょっと変わった品種である。1本で100個から200個なるというので植えてみた。なるほど旺盛な生育で瞬く間に畑を席巻してしまい,サツマイモも負けてしまった。
このカボチャ,雌花ばかりで雄花が極端に少なく,自家受粉できないので雄花用のカボチャを側に植えてやらないと十分に実がとまらない。失敗した。万次郎の蔓の勢いに授粉用のカボチャが押しつぶされ枯れてしまった。急いで授粉用の苗を作ったが時すでに遅し。説明書にも雄花用のカボチャはかなり離して植えるようにとあった。1本で100個は無理だが,霜が下りるまで50個くらいはできると思う。
できたカボチャはラグビーボール型で3キロから4キロはある。実は粉質系ではなくしっとり系で日本カボチャのようだが,とても甘い。保存も2月3月ごろまでできるという。
コロッケにしてもらったら甘くておいしかった。
猫も,この頃は温いところがいいらしく,膝の上でうずくまるようになった。
63歳になった。秋祭りの日に生まれたのだが,今では祭も土日に行う変動制なので,忘れられている。
孫娘がメールで祝ってくれた。
8月2日(火)晴れ
今年はおかげでトマトがよく採れた。麗夏(レイカ)もアイコも申し分ない出来で,存分に食べている。リコピン摂取の不足はない。
山で食べた友人のトマト煮も作ってみた。トマトの酸味とうまみが何とも言えない。
夜はお帰りの嬢ちゃん(三毛猫),夏ばて気味
7月23日24日(土,日)大山は晴れ
日記の更新がされず,方々からご心配をいただいている。ただただ横着でできていないだけなのでおはずかしいばかり。
昨年も山の仲間の誘いで伯耆大山に何年ぶりかの山行をしたのだが,今年もユートピア小屋近辺のお花畑散策に誘われた。春からぐずぐずと体調のことを気にしていたのでためらいもあったが,実際に行ってみると調子が良くなるので,このたびも連れて行ってもらうことにした。
O氏のRV車に乗って大山駐車場に今年は明るいうちに着いた。駐車場横にしつらえたようにテーブルとベンチがあり,そこで早速夕食の鍋料理を囲む。いつもどおりS氏の用意してくれたキムチ鍋。材料はすべてカットしているのでカセットコンロに火を入れ,10分後にはほおばっていた。ここで山行には参加しないが同じ仲間のT氏が夕食パーティーに合流。彼は直売所めぐりが好きで,そこで買った野菜や果物などを差し入れてくれた。
さすがに夜は涼しい。トイレにかかっていた温度計が23度を示していた。早々にテントに入り,寝袋にもぐり込み明日の高嶺の花見物に備えた
明けて24日,カップ麺で腹ごしらえをし,7時頃登山道に向けて出発。大神山神社の石段を上り,ユートピア小屋へのルートへ入る。ブナ林の緑がまぶしく,空気もひんやりとおいしい。
昨年と同じルートだが,友の後を追うのに一生懸命であまり景色を見る余裕がない。それでも尾根すじに出て視界が開けると,遠くに弓ヶ浜が見え,おもわずカメラを向ける。
アップダウンを繰り返しようやくユートピア小屋が稜線に見えた。日曜日なので人影も多い。小屋に近づくにつれ,いろいろな花が道の両脇に現れ,歩きながらシャッターを押す。
コオニユリ,クガイソウ,アザミ,シモツケソウ,ギボウシ,ヤマハハコグサ。
小屋に着いたのが10時30分。早いが昼食にする。今回はやはりS氏による鳥の手羽先をトマトで煮たもの。バジルが振られ,食欲をそそる。圧力鍋で煮たそうで手羽先がとろけるように柔らかく,何杯もおかわりをした。おなかを満たし,しばらく小屋の中でうとうとした。
花を求めての登山者が絶えない。小屋のまわりは人人人・・・。花も花だが最近,山ガールといわれるように女性の華やかな山ファッションにも目を奪われる。
帰路は,昨年同様,スナスベリを下ったので楽だった。
下りるころから,山頂はガスに包まれだしたので,われわれはとても幸運だった。
4月26日(火)晴れ
昨日の強い風がうそのようで,今日は畑に定植したトマトの苗もゆれずにのんびりしている様子だった。
友人の畑の一部を借りて十数本植えているトマトにも液肥をやった。雨よけを作らねばと思っているがまだできていない(キュウリ用の支柱を使うつもりですでに買っている)。ミカンやリンゴの木の下の雑草を刈った。カラスノエンドウにいっぱいのアブラムシが付いていたので,畑の作物のためのスケープゴートにおいておくべきだったかなとも思う。
午後からはわが家の畑にキヌサヤエンドウを摘みに
莢を指先で摘んでいるとブルームが指に付き,きゅっきゅと鳴る感じがする。莢の表面の蝋成分が多いことからだろう。果実はブルームをまとい病虫害から身を守るとか。新鮮度をはかる指針にもなる。ブドウなどは特にブルームにさわると指紋が付き商品価値が下がり,取扱をていねいにしなければならないという。逆にキュウリなどは白い粉が吹いていると農薬だと消費者が勘違いするので,ブルームレスが主流となっているが,これは表皮が厚くなりおいしさはいまいちである。白いトゲがあり粉を吹いているようなキュウリを丸かじりにするととてもうまいと思う。で今年は「白いぼキュウリ」を植えてみる。
山の畑の八重桜と荒神様のヤマザクラが満開だ。
4月18日(月)県南北いずれも昼から雨
岡山県北部に行くと桜はまだ見ごろなので,かねてより気になっていた「醍醐桜」を見に出かけた。真庭市の丘陵地にある孤高の一本桜。たしかに見事に立っていた。
アズマヒガンというヤマザクラの一種で,花の一つひとつは小ぶりでかわいい。
yoshikoさんの主な目的は休憩所で売っていた豆を買うことだったが,昨日売り切れたとのこと。知人に頼まれたことでもあり,とても残念がっていた。うずら豆に似た細長いかたちのもので煮豆にするとうまいらしい。食べてしまって写真もなく名前もわからない。来年も来てみるか・・・
もうひとつの銘木「岩井畝(いわいうね)の大桜」を見た。これも巨木で立派だった。
その桜のそばの草むらにカタクリの花があった。これを見たのも初めてである。天気がよければ花が上向きになるとか
桜とカタクリを撮っていたカメラマンは,晴れているとこの桜の上を天の川が南北に見えるそうで,それをねらって午前2時に来たという。すばらしい眺めだろうと想像する。
きょう,苦笑したというか恥ずかしいことがひとつ。カーナビで「醍醐桜」と検索して方角が一致したので行き先と定めたが,案内してくれたのがワイン工房「醍醐桜」という所で全く別物だったこと
4月15日(金)曇りのち雨
円通寺公園の桜の花が満開となり,今日の雨でかなり散っていたが歩道に落ちた花びらの絨毯もきれいだった。国民宿舎「良寛荘」のラウンジで友人とお茶を飲み,眼下の雨で煙った港の風景をぼんやりと見やりながらひとときを過ごした。
やはり話題は大震災と原発事故のことになるが,おたがいの今おかれた立場に感謝して,つましく生きていこうというところに落ち着き,別れた。何が自分にできるかも考え続けようと思う。
午後はゴーヤの芽が出たものをポットにそれぞれ移した。2月に蒔いたアイスプラントも大きくなり,鉢植えか地植えにしないといけない。塩水をかけてやると葉っぱに塩味がつくらしい。最近ブームという。
昨日は,演劇鑑賞会の役員さんと,劇団の俳優がじかに岡山まで来られて演劇宣伝をされるところへ同行した。
その演宣は,「はい,奥田製作所。」という演題の町工場を舞台にしたコミカルながらシリアスなものという。俳優さんからいただいたパンフレット(劇場で売っている正規のもの)を見ると,自分にとって神様的な人小関智弘さんの助言によって作られており,また寄稿もされているので,改めてそのパンフレットを見入った。ぜひ見てみたい。
あつく宣伝された俳優さんは館野元彦さんである。この人が演じた演劇「流星ワゴン」についても個人的に尋ねてしまった。これまた大好きな重松清さんの作品だから
3月25日(金)曇り
新聞広告を見て,ひさしぶりに本を買った。なつかしい人の本だからである。付録にDVDが付いていることにも引かれた。『マルセ太郎読本−芸と魂・舞台裏・人間を語る』(かもがわ出版)
マルセさんが亡くなられて10年になるという。もうそんなになるのかと思う。マルセさんの本物を見たのは美星町でだった(これは本サイトでも紹介した−マルセ太郎さんのこと)。平成8年だから15年も前のこと。映画『泥の河』を一人で演じるのを目の当たりにし,驚いたのを覚えている。生の公演はそれ1回限りだが忘れられない人となった。
付録のDVD「鳴りやまぬ拍手,芸人マルセ太郎」を観て,在りし日のライブをなつかしく思い出した。本によると,今も脈々とマルセさんの芸が語り継がれていることがわかった。
3月24日(木)曇り
彼岸の中日を過ぎても寒い日が続く。
菜の花やソラマメの花も見えるが冷たい風に吹かれている。
タマネギはかなり大きくなったと思う。早生種を試しに抜いてみた。葉タマネギとして食べれそう
3月20日(日)曇り午後から雨
このページの更新も月一のペースとなり何とも情けない限り
その間,東日本ではかつてない惨事があり,ますますつぶやけなくなった。
被災地の方々のご苦労を思えば,本当に恵まれすぎている。寒いだの暑いだのと不満ばかり言っており,これまたお恥ずかしい限り・・・感謝する気持ちが足りていないのだ。
今日は演劇鑑賞会があり,文学座の「花咲くチェリー」を観た。終演後,主演の渡辺徹さんから被災地の方々へのエールと支援の呼びかけがあった。
また,ロビーにおいては出演者を迎えての交流会があり,役者の素顔を至近距離から見れるというミーハーな気持ちも手伝い,参加した。主人公の妻を演じた名越志保さんが魅力的だった。演技でお疲れなのにわがままな観客に公演裏話などで最後までサービスしていただいた。
2月27日(土)晴れ
暖かい日が続くので,ポットに蒔いた種も次々に芽を出してくる。
南瓜,ズッキーニなどは徒長し始めたので温床から出しておくことに。まだまだ霜が降りる外へは出せないだろう。
トマトのポットの土もふくれだしたので芽を切るのももうすぐのようである。
今日は演劇鑑賞会の定期総会が倉敷市民会館であり,時間を間違え開会ぎりぎりに出席した。総会は滞りなく終えた。そのあと女優の渡辺美佐子さんによる「私が歩んだ女優人生」と題する記念講演があった。
総会をしたこの会議室が26年前小劇場として使われ,まさに渡辺さんのライフワークともなった一人芝居『化粧』が一大転機をした記念すべき公演だったことをまず述べられた。確かにそうだった。会議室のフロアに会員手作りの座布団が敷き詰められ大衆演劇場の雰囲気が醸し出されて,渡辺さん扮する女座長は,客席の座布団席にまで降りて来てゴキブリを追い回すくだりを演じた。このとっさの演技が,演出の木村光一さんがたいへん気に入られ,その後の芝居に採り入れられたという。
『化粧』648回公演のあと,渡辺さんが現在打ち込んでおられるのが朗読劇「夏の雲は忘れない」。渡辺さんの同級生だった少年が広島の原爆でなくなったことが今も切なく思い出されるとのこと。
また,4月から始まるNHKテレビ小説「おひさま」に出演されるそうで,その宣伝もされて東京へ帰って行かれた。
2月17日(木)雨
雨だが気温はそれほどでもなく,カボチャ類をポットに蒔いてみた。「栗坊」(サカタ)「ロロン」(タキイ)は昨年知り合いに配ったら好評だったので今年は多めに。ズッキーニも蒔いた。これらを電熱温床の端に置いた。
昨日は雪の降った後だが昼頃にはぽかぽか陽気になった。山の畑に置いてある小さな発電機が回らなくなっていたので友に見てもらうべく一輪車に乗せて下ろした。友は即座に直してくれた。マイカーのエンジンを全部分解してチューンナップするくらいだから小型エンジンなどはかるいものだろう。それにしてもすごい。前より調子がよくなったみたい。また畑で電動工具が使えるようになった。
山の畑に上がったついでに液肥をまいたが,雨が降ったので効果がなさそう。タマネギの生育はよくない。ソラマメも霜にかなりやられていた。
小梅はよく咲いていた。ネコたちも春日を浴び,のんびりとしていた。
2月15日(火)晴れ
今年は日本の各地が豪雪でお困りだが,この岡山県南でも昨晩はかなり降った。古いカーポートと簡易ビニールハウスの屋根が湿った雪の重みに耐えるだろうかとやきもきした。夜中にハウスの中からテントをたたいて雪を下ろしたり,カーポートの屋根を熊手でひっかいたりしたが,今朝はもう日が照り雪はすっかり消えた。雪に慣れないこの地方では交通トラブルが多発したという。
ハウスの中に電熱温床を起き,ミニレタスなどを2月8日に蒔いたが,その後急に寒くなり,25度に設定したサーモスタットはつきっぱなしである。なんだか早すぎたような・・・・芽を出しても外に出せるのだろうか・・・・
知り合いがピーナツを入れた豆餅を作られていたので真似をしてやってみた。軽くフライパンで煎って,渋皮の付いたままもち米と一緒に蒸し,餅つき機でこねる。豆が飛び散るので落ち着くまで蓋をする。何とかできた。ちょっと豆が生っぽいが,わが家では初めてのピーナツ餅である。冷めたら1pぐらいの厚さに切り,焼いて食べる。
後で気づいたが春に蒔く種用に取り置くのを忘れて,全部餅に入れてしまった。
1月18日(火)晴ときどき曇り
連日,朝は氷点下が続き,水道水にトラブルが続出。ゴミステーションに併設している水道設備が壊れ,わが家の畑にひいている水道水のパイプの継ぎ目からも水が漏れていた。さっそくU野さんが修理をしてくださり,畑の水やりには心配はなくなった。蛇口までの80メートルほどあるが夜間は水を抜くのを忘れないようにする。
水桶に張った氷が一日経っても溶けない。またしても寒さに弱い多肉植物を凍らせてしまった。
昼ごろ陽ざしがあったので,タマネギ,ソラマメ,キャベツなどに液肥を施した。液肥混入器でやるのだがゴムホースが低温で硬くなっており,畑の中を取り回すのに難儀をした。タマネギはこの寒さの中でも生き生きしており,4月へ向けてしっかりエネルギーを蓄えているように感じた。ソラマメはちょっと霜によって痛んだものもあるが,まだいじょうぶだろう。
今年は苗物の発芽をうまくやるために温床マットを買った。サーモスタットも付いているので温度管理はうまくいくと思う。トマトやナスの苗が思うようにできますように
1月2日(日)晴れのち曇り
今年も初日が高く昇ったころ起きだして来,雑煮をいただく。むかしは雑煮を朝一番にいただいてそれからまた一眠りするのが農家の正月だと,祖父が言っていたのを思い出す。本当の骨を休める寝正月というところか。つくづく今はありがたく幸せな新年と思う。
帰省していた孫たちも帰って行った(看板業を営む弟に作ってもらった組木のお雛様を大事に持って)。
孫たちの帰省中,遠慮していたのか半外猫,いや半内猫の三毛が帰って来,今膝の上に居る。この猫,昼間どこをうろついているのだろう。今頃はセンダングサの種をいっぱい付けて帰り,稲藁のにおいをさせる。大晦日と元日は帰ってこなかったので,たとえ山の畑の小屋に泊まってもとても寒かったはず。腹も空いただろうに・・・・ようわからん
今日の午後からは恒例のクラス会があった。倉敷の駅ビルのホテルが廃業となったので,今年から別の会場となった。居酒屋だが料理がおいしい。次回もこの場所に決めた。
12月29日(水)米子は雪
年末の恒例となった鳥取赤崎漁港に魚の買い出し。今回も友のRV車に6人。運転手と助手席の自分以外は発車するやいなや酒宴が始まっていた。窓の外は白銀とまでは行かないが,粉雪が舞っている。動く雪見酒でなんとしあわせなことだろう。
道の駅「ポート赤崎」は鮮魚を求める年末の買い物客で賑わっていた。
お目当ては昨年は買えなかったヒラマサ。大きく鮮度がいい。一匹は買えないので,友と分けることにした。三枚におろしてもらい氷詰めで持ち帰った。ヒラマサはなんといっても刺身がいちばん。頭の部分はあら煮がおいしい。
昼は駅の隣にある食堂で魚定食を食べた。エビの味噌汁と鰯の酢炒りがおいしかった。
帰り道に寄った湯原温泉の露天風呂「砂湯」はこれまた情緒豊かな名に負うものだったが,日が高いのでちょっと恥ずかしい感じもした。ここでも小雪が舞っていたが温泉のぬくもりは体をいつまでもホカホカとさせてくれた。
12月9.10日(木,金)いずれも晴れ
看板屋を営んでいる弟の仕事の下手間に付いて行った。高校の体育館に取りつけてある校名の塗り替え作業である。20メートル以上ある高さでバゲット車を使ってすることになる。このバゲット車,クレーンのようなブームが油圧によって4段伸びて行く。最長27メートル伸びるそうだ。そのバケットに2人乗り,作業する。作業はまず電動やすりで文字の表面をならし,ペイントを塗りやすくする。それから耐久性のある上等なペイントをローラーで塗っていく。たいへんだろうがそれを下から見ているだけ。時折,運動部の生徒がバケット車の近くを通り抜けるのを注視する程度(だから何もしていないのと同じ)。1日目は風が強く冷たくさぞや20メートル上の作業場はさらに強い風が吹き抜けていると思ったが,後で聞いてみると全く風は感じなかったというから不思議である。手直しに再度上昇するときバケットに乗せてもらい,校名まで近づいた。上からは,下から見上げるのと大違いである。肛門がきゅーんとしまり痛みを感じる。それでもおそるおそる視界をめぐらすと岡山市内が一望できすばらしい眺めである(動画)。天気がいいので遠くまで見渡せる。以前の職場の建物も見えたのであろうが確認する余裕はなかった。
それでも無事,二日で工事は終わった。校名の文字が青空と同じになりきれいになった。
11月23日(火)晴れ
午前中はタマネギを植え,午後は近所の焼き物をしている人の工房でおしゃべり。タマネギ栽培の講釈をし,ついには工房の横の畑にタマネギを実地に植え,そこでまた一講釈してしまった。
夕方からは演劇鑑賞へ。無名塾の『炎の人』。仲代達矢によるゴッホ。今日の仲代さんはとてもお元気ですばらしかった。苦悩に満ちたゴッホの絵に対する情熱を見事に演じてくれた。
11月22日(月)雨
昼から崩れるとの予報だったが朝から降り始めていた。畑には出られないと思っていたところへ友から食事会の誘いがあった。早めの忘年会という。いつもの彼の手料理だから,二つ返事で出かけた。今日は5人(フルタイムで勤務している者があり欠席)。食材は土曜日に採ってきたばかりのきのこ。前菜がナメコのおろし和え,ナラタケの佃煮,ラディッシュのサラダ。メインはやはりキノコのすき焼きである。ナメコ,ムキタケ,クリタケがふんだんに入っている。それぞれの食感が何とも言えない。キノコ談義がたのしい。1回はお供したが彼は今シーズン9回行ったという。だからこのようにたっぷりご相伴できる。
アルコールも入り,パソコンのYouTubeからは古いSP盤の曲が流れて来,本当に一足早い忘年会の気分になった。定年を過ぎたおじさんたちは毎日でもできると,うそぶく者あり。残念ながらお金がないが,こうして料理人の友のおかげで心豊かに過ごすことができる。
友の家から見える銀杏の黄葉がきれいだった。
11月21日(日)晴れ
最近はタマネギ大使で忙しい。本日は三番目の行事としてしまなみ海道を渡り,大三島の畑に向かった。大三島は大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の近くの知人宅に。圃場は適度に礫がまざり永田農法に適していると思った。早速珪酸カルシウムを撒き,液肥を施しマルチをかけ,タマネギを知人のご亭主と一緒に植えた。ほかにソラマメとエンドウの種を蒔いた。ここ大三島は,この時季でもかなり暖かく,トマトやナスも木が青々としているので,豆の芽出しも早いと思う。一応春までの作業内容を伝えタマネギ大使の役を終えた。
午後からは近くの大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に参詣して併設の国宝館に行き,数々の刀や鎧を拝観した。
11月19日(金)晴れ
近所の方が釣り上げた真ダコをいただいたので,ひさしぶりに燻すことに。段ボールのスモーカーを組み立てたころから連中が寄り集まってきた。タコの足を吊して,燻煙材に火を付けるともう動かない。じっと見張り番をしてくれる。鮭の切り身や鰺の一夜干しなどをぶら下げても,おいしくなる。
連中には燻製は分けてやることができないので,エサの特配をした。監視ご苦労でした。
11月1日(月)高野山は雨
秋の野菜の作付けはすべて遅れている。もう蒔くのは遅いものもある。
それをほっといて日帰りバスツアーに出かける。四国八十八カ所めぐりは終わったのだが,空海の聖地高野山にはまだ行っていなかった。バスは高速道路を乗り継ぎ,昼には高野の山に着いた。台風は過ぎ去ったが山の天気は良くなかった。昼食をとる宿坊が金剛三昧院という由緒あるお寺であることにまずおどろいた。多くの火災を免れ,数少ない国宝に指定されているという。精進料理をいただき庭に出て国宝という多宝塔,重文の経蔵(5月にはシャクナゲが咲き誇るという),愛染明王像(運慶作)が安置されている本坊などを大急ぎで参る。
それからバスで奥の院の方へ移動した。杉の木立と墓標群の中を歩く。奥の院は弘法大師入定の聖地であるから撮影は一切禁止されており,防寒のために被っていたキャップも脱帽とのこと。お参り中雨脚が強くなりかなり寒かった。特に頭が。
やはりその聖地は聖地らしく,神秘的な静かな空気に満ち満ちていた。今も人々の平和を願って見守ってくださっているという御大師様に,欲張ってあらゆることをお願いして霊廟を後にした。
御朱印は「高野山,弘法大師,奥の院」と記されている。
10月18日(月)晴れ
昨日は秋晴れのもと,備前焼まつりに行った。2日間にわたってのべ14万人の人出だったという。ご自身も窯を持っておられ定年後は作陶に専念されている方に今回も案内していただき,,際立った作品ばかりをみることができた。若い作家さんが伝統の技法の中に新しい意匠を凝らし,様々な備前焼を作り,努力されている。久々に文化を楽しんだ一日だった。
畑は,秋野菜の蒔き時を逃したが,近所の方が白菜,キャベツ,レタス,小松菜などあれこれ苗を持ってきてくださるので,どこへ植えようかと迷うくらい。瓜などを片付けた後のマルチにそのまま植えて見たがどうだろう。これも不耕起栽培だとうそぶいている。
トマトやカボチャがまだ青く生っているので蔓を残している。霜が降りるまでに熟すかなと願いながら
10月13.14日(水,木)米子は晴れ
10月12日,62歳となり,その誕生祝いではないが,山の友からキノコ狩りに誘われた。山小屋で1泊するという。泊まりの食事は料理長がいるからいつも安心して行く。車もK氏のゆったりした四駆のレジャー仕様のものだからこれまた安心。
今夏の猛暑の関係かキノコシーズンもかなり遅れているとのこと。いつもならツキヨタケ(毒)は終わりかけているのに倒木には今を盛りにニョキニョキと生えていた。数年前初めて行ったときはこれを大量に摘み笑われたものだ。この時季はナラタケが生えている。慣れた友の後についてやっと見つけられる程度だが,その同定には友の目が必ず必要だ。友さえはっきりしないものは地元の人何人かに聞いて,また図鑑で調べて同定するという。ブナハリタケもナラタケもツキヨタケのそばに生えているのだからしっかり見極めが必要となる。
前日はブナハリタケを少しばかりとった。友が見つけた倒木にはナメコが整然と生えていた。これはキノコの絶品である。これも時期的にはまだ早いそうである。
避難小屋として建てられた山小屋はわれわれ4人の貸し切りである。ゆったりとフロアを使い,S料理長が用意してくれたキムチ鍋を囲んでの宴。さすがに標高1100Mなので夜は冷えてくるが,取ったばかりのナラタケやブナハリタケを入れた鍋は体がとても暖まる。
夕暮れから小屋のまわりはモヤに包まれていたが,夜が更けて外へ出てみるとモヤもなく,星空となっており,あたりはしーんと真っ暗である。
寝袋に入って早々と寝ることにするが,自分で無呼吸症候群だという友が先に寝付き,なかなか寝付かれない。やはりいびきが一瞬止まったので,心配で顔をのぞき込むこととなり休ませてくれない。本人は朝けろっとしていた。
朝はカップラーメンを食べ,昼までほぼ昨日と同じ場所をやぶこぎした。友の後をついて,友が見つけたナラタケを我先に自分のレジ袋に入れる。自身が見つけたのはたくさんあるブナハリタケと数本のナメコだけ。
満足して昼過ぎに山をくだった。
帰りは道の駅に寄って,刺身用のイカと竹輪を買って,その帰り道にある温泉につかり疲れを取った。
持ち帰ったナラタケは早速佃煮にしてもらった。出汁がよく出るのでしょうゆと砂糖だけでしゃきしゃきしたとてもおいしいものができた。土地の人はこの茸をザーザという。
10月9.10日(土,日)雨のち晴れ
神戸から息子たち親子が秋祭りに帰ってきた。満1歳が近くなった孫娘は表情も豊かとなり,一瞬じじばばに対しては怪訝な顔をされたが,しばらくすると抱かせるようになった。抱くと重たい。ひいばあちゃんに抱かれるととても愛想がいい。やはり安心感があるのだろうか。食べっぷりにもびっくり。パンなどでも両手に持って頬張るようにしてかぶりつく。歯が上下2本ずつ生えているのでかみ切ることができるのだ。
祭の千歳楽(太鼓台)を見て,近所のおばさんに抱かれて,猫と一緒に寝て,帰って行った。
9月28日(火)曇りのち雨
まさに遅まきながらニンジンを蒔いた。というよりテープを張った。シーダーテープといって種がテープに縒り込まれており,播種は溝を切ったところへテープを張り渡すだけで終わる。うまくいけば間引きもしなくていいかもしれない。ゴマを植えていたマルチを剥ぎ,急ごしらえで場所を作った。酸度調整は珪酸カルシウムをパラパラとまいただけ。ニンジンのシーダーテープを張って土をかけ,鎮圧して,防虫ネットをかけた。水を切らさないようにしなければならないが昼からは都合よく雨が降った。これからもいろいろ遅まきがつづく。
ジャガイモはやっと,タマネギは早生種の,芽が出た。
彼岸花が今花盛り
9月26日(日)曇り
午前10時ごろ畑に出ても薄曇りで暑くなかった。やっとカボチャやキュウリの枯れた蔓をネットからはがした。立体的に作ろうとしたミニカボチャも10個くらいは収穫したが,アーチにしたパイプの枠を十分生かして使ったとは言えない。パイプの枠を覆い隠すぐらいの蔓の勢いにはならなかったから。がちがちに枯れたトゲのある蔓を外すには,ゴム手袋が必要だった。キュウリの蔓も同じ。
8月頃種を蒔いて仕立てたミニカボチャがようやく1個なっているが,急激な気温低下で熟すだろうか。「霜知らず地這いキュウリ」はなると思う。せん定したナスの木が勢いづいたのでこれも何とかなりそう。
ニンジンも,ホウレンソウもシュンギクもまだ種を蒔いていないので,秋祭りには使えそうにない。それでもショウガは筆ショウガとして使えるかもしれない。
友からもらったスティックブロッコリーを植え,キャベツの補稙をした。
9月25日(土)晴れ
夏の掛け布団では朝は冷えすぎる。猛暑であったのを忘れるような昨日今日。あまりに気温が下がったので蒔いた野菜の種が芽を出すのかと心配になる。
タマネギの晩生の品種を蒔いた。どうだろう去年よりは遅いのだが,時期を間違えると薹立ちしてしまうタマネギ。やはり村の古老のいうとおり秋祭りのころ蒔くべきだったのだろうか。去年は10月末に蒔いたものでも収穫にはさほど影響はなかった。もう一度秋祭り(10月9日)のころ蒔こう。
畑の片付けも待っている。カボチャ,トマト,キュウリ,インゲン豆などを植えたが,水やりが追いつかず収穫に満足できたものはなかった。ただ畝の合間に植えたゴマは日照りにも耐え,量はいつもの半分以下であるが何とか師匠の機嫌を損なわずにすんだ。
明日は本当に枯れたカボチャやキュウリの蔓を片付けようと思う。
8月29日(日)晴れ
猛烈な残暑が続くこの日,老人憩いの家のキッチンでは慣れないエプロンを着けた男たちがしんみょうに包丁を使い始めた。地区の栄養改善協議会の講師による男性料理教室が行われた。生徒は全員60歳代の7人。
ほとんどが委員さんによって食材などが準備されており,生徒は慣れない手つきで野菜などを刻むだけ。わいわいとやれ切り方がウスイとかアツイとか口ばかりで手があまり動いていない。委員さんのサポートを受けながら,それでも4種類のメニューとなった。「ささみと豆腐のホイル焼き」「こんにゃくとゴボウのピリ辛煮」「けんちん汁」「ぽりぽりめかぶ」どれもヘルシーなものばかり。出汁も鰹と昆布から本格的に作る。委員さんのサポートよろしく午前11時半には全品できあがり,大広間で早速の試食会となった。どれも薄味で上品な味付けである。こういうのを日常的に食生活に採り入れるといいのだろうなあ。一人で作れるようになれという教えでもある。自分たちで作ったということもあり楽しい食事会でもあった。
出汁をとった後に残った昆布と鰹節を佃煮風にしていたのがおいしかった。
夏休みの自由研究を親に手伝ってもらいながら仕上げたという感じの料理教室だったが結構おもしろかった。
7月27日28日(火,水)米子は曇り
丑年生まれの友二人にひかれて,いや誘われて米子は大山のお花畑までいった。いわゆるユートピア避難小屋までのルートだ。大山もこの時季,高嶺に花が盛りとなる。ちょうどユートピア小屋のまわりがお花畑となるようだ。花の写真を撮ろうやと誘われたのだが,キノコ取りの時に泊まる大休小屋から見るユートピア小屋ははるか彼方にあるように思えたのでまるで自信はなかった。山のベテランS氏O氏は何回も登っている。こちらの体力を心配してくれて前夜は元谷小屋に泊まり,朝早くでかければ一五〇〇メートルあたりへ行けるだろうと段取りをしてくれた。途中渋滞のため大山駐車場に着いたのは午後9時前だった。これから元谷小屋まではたいへんということで駐車場で夜を過ごすことにした。シートを敷いて,S氏の用意してくれたもので即座にキムチ鍋ができあがった。山の気温はこの時間になると22度ぐらいとなり,ちょっと肌寒く,キムチの元がよく効いた鍋がとてもおいしい。
あっという間に組み立てられるテントのなかでゆったり眠ることができた。O氏は車の中で。このテント昨年富士登山をしたときは4人が入って眠ったという。二人用のものだから4人はきつかったであろう。
翌朝は,駐車場だから,早くから登山者がやってくる。早々にテントを撤収して,おにぎりと味噌汁で腹ごしらえをした。
登山届けを出して,駐車場からまず大山寺,大神山神社を目指した。朝の空気が冷たく気持ちいい。杖を持ってきてよかった。足下の土はやや濡れており,石がごろごろと突き出ている道をたどるにはストックか杖は必需品になった。
ルート図によるとユートピアルートは往復約6時間とあり,改めてひさしぶりの本格的な山登りにやって来たのだと思った。所々の急斜面にはロープが張ってあった。足下の草木にも花が咲いており,足を運ぶ位置を確保しながらもめずらしい花に出会ったらシャッターを押した。S氏はキノコの同定にもくわしいが,山野草にもくわしい。名前は後で聞くことにする。
宝珠尾根のブッシュを分けて進んだが,風が強く小屋も相当吹いているのだろうと想像した。朝6時に出発してお花畑に9時30分到着。ほぼ予定どおりさして仲間に迷惑はかけなかったようだ。
お花畑は短い夏を惜しむかのように一斉に花々が競って咲いていた。コオニユリ,シモツケソウ,クガイソウ。クガイソウはユートピアのお花畑を彩る主役だそうだ。目をこらすと蜂やアブがとまっている。麓からこの時季をねらって蜜を集めに来たのだろうか。思っていたほど風は吹いておらず,撮影はよくできた。避難小屋で休む登山客もウイークデーにしては多い。彼らの持っているカメラがすごい。プロ仕様のものばかりと見受けた。
小屋ではカップヌードルを食べた。これも3時間歩いたあとの食事だから,何よりのごちそうに感じた。若いころのチキンラーメンを思い出すが,こちらは食器がいらないし,味にバリエーションがある。便利になったものだ。コンロもガスカートリッジで一発点火。湯がすぐに沸く。
食事後も小屋のまわりをしばらく散策して下山することにした。下山ルートは上宝珠越から元谷までの砂滑りを利用させてもらった(ほんとはよくないのだろうけどね)。おかげで下山はあっと言う間であった。元谷から後ろを振り返ると大屏風小屏風のすさまじく切り立った岩が見える。ああ。あの上のユートピア小屋までいったのかと我ながらよく上がったものだと感慨に浸る。
大神山神社のお水をいただき帰路についた。
善光寺参りではないが,友二人のおかげでとてもいい思い出ができた。
7月14日(水)雨
長い雨が続き,体もぼろぞうきんのように転がったままでなかなか動こうとしない。昼でもちょっと横になっていると意識を失い,悪夢にうなされ寝ていたことを知る。電気屋から電話があり,プリンターの修理が完了したというので受け取りに出かけたりはする。また友の電話でも出かけはする。それ以外はぼうーっとしている。
本当に怠惰な日々を送っている。
作物の生長も早いがそれ以上に雑草の生長が著しい。もう手が付けられない状態だ。
トマトも雨よけのおかげでよくできた。毎朝行ってはかぶりつくが,このところ雨が多いのかちょっと水っぽい。今年は大玉のトマトが採れたのがうれしい。ファーストというなつかしい昔型のものだ。これは晩ご飯の時,スライスしてウスターソースをかけてこれだけでご飯を食べた。まさに「トマトがあればほかのおかずはいらない」というやつだ(自分だけかもしれないが)。少し元気が出た。
スモモもサンタローザに接いだマンチュリアンなどが熟れてくるころだが,長雨で裂果していた。