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2014(平成26年)
12月27日(土)晴れ
あっという間に年末を迎え,畑もほとんど手が入らないまま年を越しそう。それでもニンジン,ブロッコリーが食べられるようになり,ナバナも咲いた。聖護院大根もなんとか食べられそう。今年はサトイモが豊作だ。まだ三分の一畑に残っている。
12月17日(水)風が強く小雪が降る
外は寒い西風で,粉雪まじりだったが,調理室の中では野菜を刻んだり,エビの背わたを取るなど賑やかに準備が進む。栄養改善委員さんの指導の下,ヘルシーな減塩食ができあがり、美味しくいただいた。Kさん曰く,「準備が8割,そして片付けまでが料理」と,まことに至言である。
12月8日(月)曇り
12月8日はお釈迦様が悟りを得た日ということで,町内の山上にある補陀洛山「円通寺」において,その法会「成道会」が行われた。
円通寺は良寛が修行した禅宗のお寺でもあり,成道会のときは座禅の行を念入りに行うとか。
受付を済ませ,あたたかい甘酒のお接待をいただく。初めて上がった本堂では秘仏も公開され,いよいよ法会が始まった。般若心経と法華経の一部を唱和し,住職の法話を拝聴した。
昼からはご詠歌の奉納と,メインの法話があった。法話というより音楽説法というべきか,講師は副住職の身でありながらバイオリニストでもある。妙なる響きが堂内にひびき,なじみのメロディとみんなで歌う歌は一瞬歌声喫茶の様になり,聴衆を終始和ませた。それでも「諸行無常」の教えをわかりやすいたとえで聴衆を引き込むことも忘れない。ありがたい話がいっぱいの壇信徒会だった。
12月6日(土)高知は晴れ徳島は雪
「お四国病」といわれるように,遍路めぐりを終えても,また行ってみようかと思うようになる。今回は四国別格霊場巡りを始めた。11月22日に第1番から第3番まで巡った。第20番まであるが、今回は高知県に一ヶ寺だけある第5番大善寺に行った。高知は青空の下,のどかに参拝を終えた。
高速道を使い一気に徳島に返すが,前夜の大雪で第15番箸蔵寺は真っ白。ロープウェイを使い山上に上がり、さらに雪道を登り本堂へたどる。石段も上がる部分だけ除雪されており,着いたときは汗が出ていた。バサッと雪が木の枝から落ちる音を聞きながら,般若心経をおとなえする。なにやら一層神妙な気持ちとなる。
最後は香川満濃池のほとりにある第17番神野寺へ。日が暮れ始めており,遠くの四国連山は薄化粧をしていた。
いずれの札所もおかげで無事参拝を終えた。
別格札所のもう一つの魅力は,札所ごとに念珠の玉を買うことができ,20ヶ寺の玉がそろうと念珠に仕立てることができる。気張って一玉500円の紫檀のものを集めることにした。
12月5日(金)晴れ
いつの間にか師走。ミツバチも寒いので,T&Fの福田さんがしておられた段ボールを使っての巣箱の防寒をやっとした。これで少しは冬のストレスを緩和してやることができるだろうか。
ナバナが咲き出した。ミツバチのためにこれも少しは役立つだろう。もっとも人が食べる場合は花が咲く前に摘み取り、酢味噌和えで食べる。ほろ苦くて美味しい。
11月19日(水)晴れ
タマネギの苗ができたので,とりあえず早生種を植えた。赤タマネギの「湘南レッド」と「貝塚早生」。明日は晩生を予定している。
皇帝ダリアが秋空に映える。
11月6日(木)晴れ
二人目の孫娘が誕生したので会いに行った。生まれて二日目なのにしっかりとしており,おねえちゃんもうれしそう。
11月4日(火)晴れ
7月に田植えをした稲が実り,10月30日に稲刈りをしたのだが,ほとんど放任(潅水はM氏による)栽培みたいなもので申し訳ない気持ちで新米をいただいている。無肥料無農薬米である。
コンバインで刈ったあと,直ちに乾燥機で乾燥し、11月4日には、籾すりをして玄米となった。新米は粘りがあり美味しい。
生の籾を乾燥するのと,乾燥機の容量の関係で一気に刈り取りができないので友人の稲は後回しになって,まだ田んぼにある。
10月21日22日(火,水)高野山は晴れのち曇り
四国八十八カ所巡拝を終えたので,空海の聖地高野山へ。バスはいつもの方角とは違い,東へ向けて走り,奈良から和歌山へ向かう。標高900mにあるこの地は広い盆地になっており,世界遺産でもある。奥の院にまず案内され,弘法大師の霊廟,壇上伽藍に詣でることに。撮影禁止の霊域に入る前にツアー全員で記念写真。今も空海さんが修行をなさっているという奥の院は静謐で荘厳でまさに霊地という所だった。そのあと大伽藍,金剛峯寺,女人堂を巡って,そして宿坊「西室院」に着いた。宿坊も伽藍の一つで御朱印も受け,翌朝は食事の前に本堂でおつとめもした。
2日目は全山霧に包まれていた。この日は大師教会という所で受戒を受けるという、今までの巡拝ではなかった儀式を体験した。うす暗い堂宇の中で,阿闍梨という高僧による受戒の儀式。受戒のお印をいただき,そして説教を拝聴した。
とてもまじめな気持ちになった二日間だった。
20日(月)姫路は雨
地域の環境衛生の当番になっていることから,研修視察のお誘いがあり参加した。姫路市にある家電リサイクル施設。大きな工場だった。工場長自らレクチャーしてくださり,技術の高さをアピールされた。あいにく雨の中だったが,最新の設備を備えたプラントを見て回った。リサイクル料を支払っている家電4品目(テレビ,冷蔵庫,エアコン,洗濯機)が再資源化をするために,厳重に丁寧に破砕されていく様子を見学した。
研修のおまけとして、黒田勘兵衛ゆかりの姫路城近くの公園と酒造会社にも行き,大河ドラマの復習と酒蔵の見学と日本酒の試飲をした。
10月16日(木)晴れ
タマネギの芽が出そろったが,雑草の芽も出そろった。
取るなら今。ピンセットでつまむが腰痛が出てあきらめた。
10月11,12日(土,日)曇りのち雨
台風来襲が心配だったが,田畑の中を千歳楽が通って稔りの秋を祝う。
お宮入りでのサシタ(頭上に担ぎ上げる)では,トンビが2羽舞いおりてきて一緒に遊んだ。
道ばたに季節外れのウノハナ(谷ウツギ)が咲いていた。
10月10日(金)曇り
長い一日だった。朝一番,老人会受託の駐車場と公衆トイレの掃除をし,ひと休みして,演劇鑑賞会の舞台装置搬入(荷下ろし)に行った。
町工場の一画,事務所兼休憩所を舞台に再現するので,いろいろなものが運び込まれる。劇団スタッフの指示のもと,てきぱきと運ばれる。とりわけ下手に据えられる汎用旋盤はデンと重厚な輝きを発していた。本物は何トンという重さだが,木材などでまことにリアルに作ってあった。
今日の演劇は『はい,奥田製作所。』。運営担当サークルなので,いつもと違って力を入れたはずだ。おかげで会員数を維持でき,あとはほっとした気持ちで芝居を楽しむだけのはずだったが,会場案内のアナウンス役を引き受け,始まるまで落ち着かない気分を味わう。何とかそれを済ませ,席に着く。
期待通りの面白くて楽しい観劇の時を過ごした。
舞台装置は次の公演地に行くためすぐにばらしてトラックに積み込む(荷揚げ)。
芝居の余韻を保ちながら,制作の人と夕飯をともにした。担当サークルを評価してくださり疲れが癒やされたようである。劇団のブログでも褒めていただいている。
10月8日(水)晴れ
やっとタマネギの種まきをした。うまくいって定植できるのが11月の終わり頃かと思う。いつものやっつけ仕事だから雑草も一緒に生えてくるだろう。
緑竹も伸びきってタケノコを採る時期を失った。
最近,RSKラジオで聞いた岡山弁だが,若い人でわかる人はあまりいないだろうなあ
「でーどこへえーてーた でーこをてーてーてー とゆーたのはでーなー」(台所へ置いといた大根を「炊いておいてくれ」と言ったのは誰ですか)→参考廃れた岡山弁
9月30日−10月1日(火,水)別府は曇り空
秋の旅行会は別府温泉。バス会社の企画ツアーも今回が最終日とのこと。バスは高速道路を一路大分に向けて走る。この旅行への参加はもう数回になるが,初めて参加したとき驚いたのが,お土産品の車内販売である。今回も販売員さんがサービスエリアなどからバスに乗り込み,試食品を配りながら注文をとる。ついつい巧みなセールストークに乗せられ,現金を封筒に入れて注文する。明くる日の昼食場所で商品が渡される仕組みだ。結構みなさん楽しみにしているようで,かなり買われる。バス会社にもバックマージンが入るのだろうな。
耶馬溪の青の洞門,黒田官兵衛資料館,明礬温泉の湯の花小屋の見学と盛りだくさんの観光を終え,別府温泉に着いた。
日本一の湧出量があるという別府の湯につかり,美味しい食事とカラオケで存分に楽しむ。
さわやかな目覚めの宿のベランダには鳩がやって来た。柿ピーをやるといくらでも食べる。大丈夫かい?えさをやって・・・・・
二日目は,ワイン工場と名横綱双葉山の生家と記念館を訪ねた。
9月19日(金)さぬき市は曇り
いよいよ打ち止めのお参りに。札所第83番一宮寺をかわぎりに今日の巡拝が始まった。バスツアーとはいえ一年半を要したお四国めぐり。本当におかげを受けて結願することができた。なにやら寺寺で上げるお経も少し高揚した気持ちになる。
第86番志度寺においては,滅多にない焔魔堂のご開帳の機会に恵まれ,秘仏を拝観することができた。これもツアーのおかげである。
曇り空であるがちょうどお参りには適温で,第88番大窪寺まで降られることなく快適に巡拝できた。
友と3人結願を喜んだ。
来月は高野山にお参りする予約もとっている。
9月12日(金)晴れ
友人が矢掛町で経営している鉄工所を演劇鑑賞会会員で見学した。今回の芝居が『はい,奥田製作所。』という町工場が舞台となっているのでその勉強のために。
主に自動車関係の物を作っている町工場である。
汎用旋盤とNC旋盤が向かい合わせに据えられており,今回は汎用旋盤を使って,若い職人による鋼材を切削する様子を見せてもらった。
刃先の薄い超硬バイトが回転する鋼材に近づいてゆき,白い油煙とシュルシュルという軽快な音とともにキリコ(切削くず)がクルクルとらせん状に飛び出してくる。
何回もバイトを取り替えてできあがった銀色に輝く製品は,ジグ-jig(「治具」と漢字を絶妙にあてている)という一点物だった。汎用旋盤は量産物ではなく,少量のいろんな注文に応えるのに向いている。そのためには職人のハンドルさばきにかかっており,熟練を要する。
友人は二代目工場主だが現在は経営を三代目に譲り,地域の防災などのボランティアで東奔西走している。
(写真はイメージ)
9月2日(火)曇り
サトイモが大きくなっている。エアーポテトとシカク豆の蔓が絡み合って繁っている。
8月31日(日)曇り
夏休み最後の行事となった男の料理教室に参加した。わが町内からは3人。昨年も参加した。今年は念願の牛肉。準備万端よろしく栄養改善委員さんの指導の下,したごしらえに入る。ニンニクとショウガをすり下ろして調味液を作り,牛肉と混ぜ合わせしばらく漬け置く。その間にキャベツとニンジンを刻み,即席甘酢和えを作る。アサリとわかめのスープとデザートのヨーグルトミニパフェも作る。
調味料になじんだ牛肉をフライパンで焼き,ご飯の上にかけるとメインの焼き肉丼ができあがった。みんなで美味しくいただいた。
8月23日(土)曇り
地蔵盆の当番になり,町内にある地蔵尊を洗い清め,夕方のお接待にお菓子などを買いそろえた。
お接待前に当番全員で地蔵経を唱える。子どもたちのお参りを待っていたのだがやはり少なかった。
管理人が子どもの頃は,大勢の子どものお参りで賑わった。翌日は他町内のお接待に友だちと繰りだしたものだ。その日はもらったお菓子をながめて,とても満ち足りた気分であった。今は物にあふれ,子どもたちも駄菓子にはあまり興味を示さないようでちょっと寂しい地蔵盆だった。地蔵盆が終わると楽しかった夏休みもいよいよ終わる。
8月18日(月)曇り
今年も施餓鬼会のお手伝いに旦那寺へ行った。書きやすい小筆を持参したのだが,経木に文字を書くのは難しい。この日があるのだから写経などして練習しておけばよかったといつも悔やむ。「先祖代々之諸霊」とか戒名を書くのであるが,人前なので手が震えてうまく書けない。
大勢の檀家のお参りがあった。
13日〜16日曇りと雨
月遅れのお盆の行事をする。何もかも簡略というか先祖を敬う心が薄れたのか,後手後手となる。慌てて古いお墓の掃除をし,物置から半ば朽ちかけた水棚(精霊棚)を出す。これなどはお寺様が棚経に来られる前に出すべきなのだろう。棚経は水棚の前で餓鬼仏のために経をあげるものらしい。ともかく13日には迎え火をした。が,送り火は忘れたというか雨がかなり降っていたのでしていない。
帰省した孫娘と畑に行き野菜を収穫したり,公園で遊んだ。
16日の送り火はしなかったが,15日に花火をしたので送り火をしたことにするか
8月12日(火)讃岐は午前中は曇り
台風が去って,今日は札所めぐりに。第77番〜第82番までの6ヶ寺だがバスの運行都合から,まず第81番の白峯寺を打ち始めとした。標高500メートルの五色台という台地にある。白峰寺は9年前の1月15日に第82番根来寺まで遍路道を歩いたことのある札所である。寒い時期に一人で山路を上り下りした。今回はツアーだが本堂までの石段もかなりありきつい。蝉の声に負けじと力を入れて般若心経を唱える。
根来寺の駐車場前にすごいものがある。造形的にもすごい。村人を困らせた牛鬼という怪獣。このお寺は札所には珍しい天台宗のお寺だった。弘法大師の甥にあたる智証大師(第5代天台座主)の開基という。キキョウがきれいに咲いていた。
第80番国分寺にはミニ八八カ所がある。
第79番天皇寺は変わった形の鳥居が迎えてくれる。最後は丸亀市にある第77番道隆寺に参って本日の行程を終えた。暑かった。
7月31日(木)晴れ
連日の猛暑で,日中は畑に出て行けない。はや夏ばて気味!
夕方,田んぼに行く。一段と株が大きくなったようである。雑草も同じように大きくなって,アイガモンも使いにくそうであった。
畦の雑草を少し刈った。
我が家の畑はカラカラでニンジンの芽が出てこない。元気なのはゴマだけ!
7月25日(金)晴れ
今夏最高の暑さではなかったろうか。家の外に出るとめまいがしそうになる。
午後3時半,思い切って遠い田んぼへ出かけた。土用干しの時期なのか,よその田んぼは水が満たされておらず,わが田んぼも昨日M氏が入れてくださったにもかかわらず,黒い土が出ていた。雑草も見える。結構,株が分けつして青々としている。弟が目立つ雑草の部分を刈り払い機の先に取り付けた除草アタッチメント(商品名アイガモン)を使う。かつての手押し除草機に比べて能率はいいがやはり暑い日中の操作はきつそうだった。
雑草抑制に効果があるという米ぬかを潅水しながら20Lほど流し込んだ。
7月24日(木)晴れ
もう12年前になるがバイオリンとアコーディオンの女性デュオが好きになり,ライブにも3回ほど行ったことがある。「TENGO」という。サイン入りのアルバムも3枚持っている。3年ほど活動して突如解散したのだが,何気なしにどうしているのかなーとググっていたら,なんとユニットが復活しているではないか。当時もエネルギッシュな演奏で魅了していたが,現在もその演奏は変わらず,円熟さがましているとも思える。
岡山に来ることがあれば行ってみたい。
7月18日(火)讃岐は猛暑
天気予報は曇りとなっていたが,第71番札所弥谷寺(いやだにじ)は日が照りつけ蒸し暑く,参拝はかなりきつかった。10年前は何とか歩いて上がったが,今回はシャトルバスで一気に上がった。それでも本堂までのつづら折りになった階段は登らなければならず,着いたときは汗びっしょり。木陰で読経し,下りは540段の石段を歩いておりた。西日本では珍しい磨崖仏を見ながら
第72番第73番は寺の山号にもなっている我拝師山の山腹にあり,山の斜面にはみかん園が広がっていた。ミツバチの巣箱もあった。
午前は74番まで参り,昼からは弘法大師生誕の地である第75番善通寺に行った。さすがに広い。宝物館では大師直筆の経典を目にすることができた。10年前は青春18きっぷで行ったことを思い出す。
第76番金倉寺は札所では珍しい天台宗のお寺だった。
この日6ヶ寺を参拝したが距離が近かったので午後6時には帰宅した。
7月17日(木)曇り時々晴れ
朝のうちに遠い田んぼに行ってみた。田植えをして11日経過の苗は,定着して青々としてきた。エンジンポンプで揚水。雑草はまだそれほどでもなかった。
畦の草刈りを少ししたが,太陽が昇りジリジリと照りつけられ,逃げるように帰ってきた。
午後もぐったり。夕方ミツバチの重箱巣箱を1個足す作業をした。驚いた蜂がシャツの上から刺してきた。
福田さんにも紹介していただいたタマゴウリがたくさんできた(動画)。
7月14日(月)曇り
準備をしていた穴あけマルチにニンジンの種を蒔いた。これも福田さんの溝底播種を真似たもの。ハンマーの先で穴を開け.ペレット種を2粒蒔く。薄く覆土してハンマーで鎮圧。不織布を掛け水をやった。これから毎日土を乾かさないよう水やりが欠かせない。
サツマイモとゴマの混植も順調(これも福田さん流)
昨日は井原市であった倉敷出身の松本和将さんのピアノリサイタルに行った。ショパンのエチュード全曲が演奏され,その力強さに聴衆は魅了された。ご自身も全曲演奏は昨年からの挑戦と言っておられた。なじみのある「別れの曲」などでは映画『さみんしんぼう』が思い出され,懐かしかった。
7月10日(木)雨のち曇り
台風の影響は特になかった。W氏の田植えを手伝おうとしたが,クロクワイという雑草を取り除く作業をして終わった。
タマゴウリが過熟になってアリに食べられて,トマトはオオタバコガにやられたりと,ちょっと目を離すと畑に異変が起きている。ミツバチの一群はスムシに侵され消滅した。
どうも目配りができていない。
それでも,難を逃れたトマトもタマゴウリも甘くて美味しい。
7月5日(土)曇り
植えました。昨日より少しましなラインとなった。田植機の調子もよく,1時間くらいの田植えだった。だが欠株はかなりあり,補植もした。
M氏管理の田も完了。これからは水の管理がたいへん。おそらく隔日で水をポンプアップすることになるだろう。
ともかく田植えが済んだ。田植えが済むと昔から「しろみて」をするのがおおかたの習わし?
昔はまったくの手植えだったので,田植えが終わると疲労困憊したであろう。それをねぎらうための農休日を「しろみて」と言ったようである。温泉地に近い所ではこぞって湯治に行ったことと思う。
我が家では祖母が柏餅や焼き餅を作って,田植えに参加した者をねぎらったのを思い出す。
遠い田んぼの傍らにM氏がトマトやカボチャを植えている。行ったときM氏にいちいち講釈をするので,さぞ迷惑であろう。
7月4日(金)曇り
待ちに待った?田植え。6月7日に蒔いた籾がすでに15センチ以上に育っている。歩行型成苗用田植機による田植え。初体験である。W氏に操作方法を聞くもまったく理解できず,ともかくスロットルレバーを開いてみる。自動クラッチなので動きだし,パレットに入った苗が2条に振り分けられ,アームに掴んだ苗が水中に入っていく。人は機械の方向を正しく前方に向けてやるだけというが,なかなかうまくいかず,ふり返れば植えた苗の列は酔っ払いの足跡のようでグニャグニャ。それでも14アールの3分の一は植えた。操作ミスで欠株が多く,あとで挿し苗をずいぶんとした。何年ぶりかの手による田植えをしたことになる。
明日はわれわれに管理を任された田の田植えとなる。
6月30日(月)讃岐は曇り
第65番から第70番までの札所めぐりだった。強い日差しではなかったのと高地が多かったので比較的楽だった。第65番の三角寺へはマイクロバスで行く。まだアジサイがたくさん咲いていた。急な石段を上がると広い境内。ウグイスものびのびとした声で鳴いていた。
札所最高地にある第66番雲辺寺にはロープウエイで上がる。眼下に観音寺の町が広がる。雲辺寺は徳島県に位置しているとのこと。たくさんの五百羅漢が出迎えてくれる。
第67番の大興寺の仁王門に安置された金剛力士像は運慶作という。その迫力と何気なく国宝級のものがあることに驚いた。
6月25日(水)晴れ
雨が降ったら土が軟らかくなるので掘りやすいと思っていたが,なかなか降らない。ニンジンの残りを散水して掘った。
美味しいと結構評判。7月もがんばって種を蒔こうと思っている。
タマゴウリが膨らんできたので,ネットを浮かせて掛け,防鳥網の代わりにした。
トマトが色づき始めた。
6月20日(金)晴れのち雲り
夕方田ごしらえに行く。すでにW氏は代掻き中。苗代の苗は発芽して10センチぐらいに伸びていた。われわれが作ろうとしている田にポンプで水を満たす。周囲の田が休耕しているので水漏れがあちこちであり,畦を補修する。7月頃になる田植えまで,代掻きを2.3回して雑草を抑制する。
代掻きをするが,要領がわからず土を練っただけのようである。水が退けると素人ぶりが露見するだろう。仕上げはやはり師匠にしてもらうことになるだろう。
田んぼは我が家から22.3キロ東にあるので,家に着いたのは午後8時をすぎていた。
アロイトマトとアイコが大きくなった。
タマゴウリも勢いがいい。
6月14日(土)今治は晴れ
都合でゆけなかった四国巡拝ツアーの穴埋めのため,友人のマイカーで札所第54番から第59番を巡った。快調にしまなみ海道を渡り,今治の町へ。来島海峡大橋はしまなみ最長の橋。
参拝は,札所が今治市街に集中してあり,6ヶ寺順調にできた。天気もよく,さほど暑さは感じなかった。第59番札所門前のタオル屋さんが,おじさん3人の記念写真を撮ってくれた。
帰路,大三島の大山祇神社にも参詣した。島の友人宅で美味しいコーヒーもいただいた。春に植えたトマトも順調に育っていた。
6月13日(金)曇り
梅雨の暑さが感じられる頃,地域では「百万遍(ひゃくまんべー)」という行事がある。大きな木製の数珠(広げた輪が直径2メートルくらい)をみんなで輪になって持ち,念仏を唱えながら横へ横へと数珠玉を送る。子どもが中心となって行う。夏を元気に過ごすための夏祈祷の行事である。今は簡略になり,ご祈祷札を家々に配り,町内の辻辻にお札を建てて終わる。このお札は厄災を封じる結界の意味を持たせたものと考える。
キュウリ支柱を建て,シカク豆とエアーポテトを植えた。
サトイモ逆さ植えの芽がよく出ている。
6月11日(水)雨のち曇り
1冊の本を4週間借りても読み終えることができなかった。雑誌の書籍欄にあったので図書館で借りた『ミツバチの会議』(トーマス・シーリー著−築地書館)。学術書に近い重みのある本だった。
分封した蜂群を新しい巣に導くために,群れから出た探索蜂によって数カ所の新しい住みか候補が蜂群に情報(尻振りダンスにより)としてもたらされるが,分封群はその情報をうまく共有して,民主的協議の結果,最良の巣を目指して飛び立つ。最終的な決定は女王蜂が下すであろうが,そのプロセスは民主的な集団的意思決定による(いま,人間界でかまびすしい集団的なんとかではない)。良好な選択である。
『その決定には3つの要件−多様な選択肢を明らかにする。その選択肢について情報を自由に述べる。最良の選択肢を選ぶために情報を集約する−があるが,このすべてを探索蜂がうまくこなす−本文より』 とにかくミツバチの会議は民主的に満ちている。ミツバチを見習うべきである。
我が家の巣箱に訪れた探索ミツバチの報告は会議に掛けられたものの分封群に拒絶されたものが多かったのだ。巣が良くなかったのだ。今更ながら得心した。
ビワ(長崎早生)が熟れた。とても甘い。ビワの花の蜂蜜は最良といわれている。
近所の方が釣ったママカリでお寿司をしてもらって食べた。友人からもらった伯耆大山のネマガリタケも添えて
6月8日(日)曇り
梅雨に入って4,5日。雨の降らないうちにと籾蒔きをした。今年の春より友人のW氏の米作りを見習うことに。父亡き後に米作りをしたのは1回だけ。それも師匠(母)を手伝ってのほんの少しの経験しかない。友人の勧めで,弟と始めたがトラクターなどの機械を使っての米作はいよいよ初めてである。田起こしのトラクターに乗るのも初めてだったが,意外と乗り心地はよく細かく土が耕されるのは気持ちよかった。ただ紫外線が強いので,いまさらながら夕方には体が火照ってきつい。
籾蒔きをいまごろ?と思うが,W氏のやり方で無農薬無肥料で作る米作りは,このくらいの時期でいいそうである。7月のはじめが田植えになりそう。あまり多くの収穫はのぞまず,省力化でいくという。だから田へは全部作付けしない。田の周り,2メートル幅には作付けしないらしい。そうすれば田の草取り,稲刈りがしやすいという。
無謀にもやろうとしている田んぼは,娘さんの嫁ぎ先の休耕田で,そして機械も全部そちらのを借用する。
これから代掻き,田植機による田植えが待っているが本当にできるのだろうか。このプロジェクトにはW氏の後輩M 氏も参加する。この人は体力があり頼りにしている。
コールラビができた。
タマネギ,ジャガイモの収穫が待っている。
5月27日(火)晴れ
ジャガイモ逆さ植えのキタアカリを掘った。というより拾った。枯れかかった茎を摘み,マルチを剥がす。芋が転がっている。あとは拾うだけ。若干小さいものもあるが大体は大きい。竹のかごに半分ほどあった。ポテトサラダにしてもらう。
5月23日(金)晴れ
ミツバチの来訪に一喜一憂していたが,おかげさまで現在6群定着している。僥倖としか言いようがない。管理が不行き届きだったから消滅させてしまったのだが,5年間もミツバチから離れていたので,戸惑うことばかりである。スズメバチとスムシにやられないようにすることが重要な課題と思う。それとキンリョウヘンが蜂を呼ぶことにとても有効であることを実感したのも今回である。1群はまさにキンリョウヘンがミツバチを呼び寄せてくれた。キンリョウヘンの手入れも学ばなければならない。
黄色のズッキーニ(ゴールドトスカ)ができた。
5月15日(木)比叡山は冷たい雨
実は我が家の宗旨は天台宗(天台法華宗)。壇信徒世話役からのお誘いで本山比叡山において行われる「慈覚大師一千百五十年御遠忌」法要に参加させていただいた。本当はもっと比叡山にお参りすべきなのだが,今回でやっと3回目である。もっとも1度目は中学校の修学旅行で行った程度だから何の記憶もない。バスの中で慈覚大師円仁の生涯についてDVDによるレクチャーを受けた。最澄を師に修行し,最後の遣唐使船で入唐し,苦難の末,多くの仏典を日本にもたらせた方という。
今回は根本中堂に岡山県の壇信徒が300人余集い法要をいとなむ。あいにく根本中堂への道は雨の中。深山にかすみが漂う。お堂の中は「不滅の灯」を目の前にして,2時間の法要が営まれた。記念すべき大祖師の遠忌に参拝でき感激である。岡山にも慈覚大師が開基されたお寺がたくさんあるというので訪ねてみたいと思う。
5月9日(金)晴れ
ニンジンがかなり大きくなった。液肥を潅水代わりにやった。食べられるようになるのは6月かな。7月にはもう冬用の種を蒔く。ソラマメの莢がふくらみ始めている。
連休には孫娘がやって来,畑に連れて行った。ちょうどイチゴやさくらんぼが熟れて,喜ばすことができた。
キンリョウヘンの花に誘われてやって来たミツバチはどうも遊びに来ただけのようで,大きな群れを連れては来なかったようである。先日の分封群は翌日どこかへ行ってしまった。友人から分封群をまたもらったので,確かな群れは2群だけである。
5月2日(金)晴れ
あっという間に5月だ。何もかもやることは遅れている。ビワの袋掛けもしておらず,すでに害虫にやられている。
キンリョウヘンの置いた巣箱を見回っていると,古い家の前の空間が騒がしい。ウワーーンという音とともにうねるようなかすみのようなものが見える。蜂の分封である(動画)。急いで巣箱に行くと巣門にもたくさんのミツバチが群れていた。しばらく蜂群のうねりを見ているとウバメガシの幹に集結している。小さめの蜂球ができたので,箱に取り入れ新しい巣箱に移した。
分封は,新しい女王蜂ができると,古くからいた女王蜂が元の巣を離れて新しい巣を作ることだが,今回の女王蜂は春に分封したばかりだから,また娘に巣を追い出されたことになるのかなー?ミツバチの世界はキビシイーなー
4月23日(水)晴れ
よく晴れた一日だった。苗を初めて作ったコールラビーの定植をした。
キンリョウヘンを置いた巣箱にミツバチがやって来たようだ。今度は本当の群れだろうか。こころがおどる。
キンリョウヘンの花から発せられるフェロモン様の匂いが蜂を引き寄せるらしい。授粉がなされると匂いが弱まるらしく,たまねぎ用の袋をかぶせている。(動画)
ニンジンの芽が少し大きくなった。
4月21日(月)曇り
近所の人からサトイモの「赤芽」をいただいたので,サトイモの畝の続きに植えた。きれいな赤い芽が斜めに出ていたので,これも逆さに植えてみた。とても美味しい品種とのこと。(写真を撮るのを忘れた)
裏の荒神様に上がると山桜が今満開。若葉の中に白い花が清楚である。そして山の畑に行くとこれまた八重桜が満開。こちらは豪華である。
3年目になる緑竹は寒さに耐え,芽が出てきそうだ。このタケノコは夏に生えるのだが,今年は食べられるだろうか?
4月15日(火)晴れ
5月の陽気の畑はジャガイモがよく茂ってきた。
我が家で唯一活動しているミツバチの巣の前に置いたもう一つの空き巣箱に,ミツバチが出入りしているので,もしかして分封群がやって来たかと思い,昼からずっと観察していた。一群儲かったと思いながら巣箱に耳を当ててみたり,写真を撮ったりしていたが,夕方には1匹もいなくなった。ショックは大きい。周りで騒ぎすぎたのが原因かもしれない。ミツバチを呼ぶというキンリョウヘンにつぼみができているのでこれを置いてみよう。
4月7日(月)晴れ
花冷えの被害をまともに受けたのがジャガイモ。昨日まで元気だったのに今朝行ってみると,霜にやられてぐったりとしている。枯れ草を掛けてやればよかったがもう遅い。
気を取り直してサトイモを植えることに。親芋と子芋とあり,両方植えてみる。もちろん逆さ植え。親芋は頂芽を切ったほうがいいらしい。一畝8穴に5畝,40個の芋を逆さに埋めた。サトイモは芽が出てくるのに1ヶ月かかる。
塩ビパイプに植えていたセロリーがきれいに軟白して柔らかくおいしい。
タケノコが採れた。タケノコは木の芽和えがいちばん
3月28日(金)晴れ
汗ばむくらいの陽気となり,W氏のミツバチが分封したというので,絶えて久しい我が家の巣箱にも帰ってくるかもしれないと思い,巣箱を掃除していた。そこへW氏から「また分封したので取りに来たら」との電話があった。小躍りして分封群を捕獲に向かった。楡の木の曲がった部分に大きな蜂球が垂れ下がっており夢中で巣箱に払い落とした。持ち帰って我が家の巣箱に据えた。何年かぶりのミツバチたち。すべての蜂群が崩壊したときは,W氏と意気消沈したものだ。昨年から彼の巣箱に蜂がもどり,光が見えていたところである。4基の巣箱に蜂がもどるかどうかわからないが,スズメバチやスムシの対策を考えながら,見守っていきたい。
巣箱の近くにヒサカキ(シャシャキ)の小さい花が満開で,チキンラーメンのような匂いを漂わせており,これも蜜源である。
3月24.25日(月,火)伊勢は晴れ
昨年,式年遷宮のあった伊勢神宮に参った。老人会の春のバスツアー御一行様,もう何回もお伊勢さんへは行っているとのこと。当管理人は修学旅行以来である。この日はちょうど天皇陛下も御参拝されるとのことで一日目の外宮へのお参りもなにやら重々しい雰囲気だった。二見ヶ浦の夫婦岩を見学して,今夜の宿の「答志島」へチャーター船で渡り,夕日が見える部屋に落ち着いた。温泉に入り,宴会,カラオケと楽しいひとときを過ごす。二日目は内宮へのお参りをした。午後から一般人の参拝はできないのでラッキーだった。
帰路の高速もあまり込むこともなく,無事明るいうちに家に帰ることができ,ビニールハウスのトマトの点検もできた。
3月20日(木)伊予の久万高原町は雨
今日のお参りは雨。久万高原町は標高400メートルにあり,目指す44番大宝寺,45番岩屋寺はさらに標高600メートルの高地になる。この地には職場の先輩が住んでおられ,退職後は地域の人から請われ町議会議員を2期勤められた。今もお元気で地域のことで活躍されているとのこと。標高が高いので,一日の温度差が大きく作物の味が濃いとのこと。いずれのお寺も,山深いところにあり,霊気漂う気配があり,寒さもあり身が引き締まる感じがする。参道も長く,本堂にたどり着くと汗がにじむ。岩屋寺は断崖絶壁の下にへばりつくように建っている。
午後から46番浄瑠璃寺,47番八坂寺といずれも雨の中だったが,無事参詣を終えた。
3月16日(土)晴れ
寒さがぶり返したような一昨日ときのうに代わり,今日は畑に吹く風も暖かだった。ニンジンをT&Fさんに倣い,溝底蒔きをしてみた。「あなあけとんとん」がないので,山登りに使用していたロックハンマー(イタリア製カシン)を使って穴を開け,その穴底にペレットの種を蒔いた。
トマト類の芽が出始めた。自家採種したアロイトマトの出が良くないが,採種,保管が悪かったのだろうか。福田さんにいただいた残りの5粒を蒔いた。固定種の栗原トマトは良く出芽し,ポットに上げた。
春早く咲くレンギョウが満開
3月8日(土)晴れ
桜のほだ木をもらったのでナメコの種菌を植えた。前回はほだ木をラップで巻いたがあまりうまくいかなかったので,今回は巻かない。400個のコマを打ち込んだ。地面に並べて仮伏せとする。
できた切り子は,燻材になるので乾燥して保存することにした。
3月2日(日)曇り
昨年,T&Fさんからいただいたアロイトマトの採種ができたので蒔いてみた。うまくいけばこちらの畑の土に合った作柄になるかもしれない。少しずつ時期をずらして蒔いてみようと思う。固定種「栗原トマト」も蒔いてみた。
ジャガイモ逆さ植えの続き。午前中は里芋を植えていた苗代田に2畝。午後は畑に2畝。昨年ジャガイモを植えた所に里芋を予定している。
2月月22日(土)晴れ
今日も暖かい。隣の青年がジャガイモを植えていたので,負けじと植えることにした。
いつもの逆さ植えである。簡単だ。古いマルチを剥ぎ,レーキで軽くなぜて畝を作り,半分に切った種芋(キタアカリ)の切り口を上にして並べていき,もみ殻を掛け,マルチで覆う。それだけである。あとは芽が出てくるのを待つだけ。土寄せもないのでこれからじっと収穫まで見守る。
2月21日(金)伊予の国は晴れ
あっというまに2月も下旬となり,寒い日が続いたが,お四国巡りの日が来た。オリンピックのうれしい結果を聞いて,バスの出発地へ友と急ぐ。各地からツアー客が集い,今日は松山市を中心に札所を巡る。まず訪れたのが第53番円明寺。ありがたいことに今回もお天気に恵まれ,第48番まで逆打ちとなるが心地よいスタートとなった。お参りはまず本堂へ行き,灯明と線香を供え,先達に付いて祈願文を唱える。「般若心経」が滑らかに唱えられたときは気持ちいい。そして太子堂で同様に唱和する。午前中2ヶ寺参り,松山市内の伊予絣会館で昼食をとった。
第51番石手寺,第50番繁多寺,第49番浄土寺,第48番西林寺と南へ下った。仕上げは愛媛の名物タルトを買い求め,帰路についた。
2月4日(火)曇り
立春のこの日,寒さが振り返ったようだ。
友人が,備前焼の「65歳の初個展」を開く,その初日にお邪魔した。これまでの集大成にふさわしい展示でどれも一段と映えている。酸化焼成で焼き上げるという穴窯は明るい色調が特徴とか。左利き用の急須が気になった。
1月23日(木)24日(金)南国土佐は晴れ
土佐の最南端足摺岬を目指し,43名を乗せた巡拝バスは快走する。今回最前列の座席となり,大パノラマで四国路の冬景色が迫ってくる。かなり得した気分。よく晴れていたが四国の山々には雪が降っていた。このたびは一泊二日の巡拝である。
この日最初に訪れたのが第37番岩本寺。珍しい円形の堂宇があり,本堂の天井絵がおもしろい。公募によるものという。
第39番延光寺に参り,四万十川を車窓から見て,いよいよ岬の第38番金剛福寺へ。広い境内にゆったりとしたたたずまいである。参拝後,添乗員さんの案内で足摺岬を散策した。
ジョン万次郎の銅像があり,その下に立ち,今年の「万次郎カボチャ」の豊作を願った。灯台をバックに10年前にも巡拝の際,撮っているのを思い出す。
宿は太平洋を一望できる岬でいちばんの高台にあるホテルだった。夕食はカラオケもあり賑やかにすごした。ホテルの屋上からご来光を拝む。
二日目は4ヶ寺のお参りで,伊予の国(菩提の道場)へ入る。第40番観自在寺,第41番龍光寺,第42番仏木寺,第43番明石寺と巡った。
次回からは日帰りの巡拝となる。今年は四国八十八カ所開創1200年ということで納経帳の左上に記念スタンプがプラスされる。
1月16日(木)晴れ
晴れているが南寄りの西風が強く冷たかった。友人からもらっていたもみ殻を燻炭にした。油断すると灰になってしまうので,時々煙突へ向けてレーキでもみ殻を掻き上げる。燃やしている間ニンニクやタマネギに液肥をやった。これからニンニクは霜でいったん枯れたようになる。
できあがった燻炭はペール缶に入れ密封した。燻炭はタマネギの株元に撒く予定。
セロリを昨年作ったが茎が硬く食べにくかったので,下水の塩ビパイプで囲み,もみ殻を入れてみた。軟白化するだろうか。
1月5日(日)晴れ
神楽師をしている同級生が玉島交流センターで,備中神楽を舞うと聞いたので出かけた。彼は自宅に道場を作り,神楽の伝承に力を入れている。
ロビーにもうけた仮設舞台で教え子たちが華麗に舞う。
遅ればせながら,氏神様とお寺に詣った。お宮の境内にある栴檀の実が青空に映えておもしろい。
お寺ものどかで静か。猫たちがひなたぼっこをしていた。
1月4日(土)晴れのち曇り
つとめていた頃は今日が仕事始めだったが,今年は土曜日にあたり,帰省した者たちも9連休だとはしゃいでいた。いまは何も感慨なし
正月にある恒例のおっさんばかりのクラス会も楽しく終わった。年金が減り,消費税が上がるとぼやいていたが,みなげんきだった。団塊世代は今年もしぶとくやっていくことだろう。
猫らも電熱マットの上でのんびりと寝正月
1月2日(木)晴れ
おだやかな元旦を迎え,家族で雑煮をいただいた。
小さな帰省客と畑に行き,野菜を収穫した。